時間学入門

#05

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時間は分割できるか

ゼノンのパラドックス

「アキレスと亀」というお話をご存知でしょうか。これは古代ギリシアの哲学者ゼノン(前490年頃~前430年頃)の考えたパラドックスで、こんな内容です。

ギリシア神話に登場する俊足の英雄アキレスが、あるとき亀と競走することになりました。といっても両者の走力の差は歴然なので、ハンデとして、亀はアキレスよりもゴールに近い地点X0からスタートすることにします。時刻T0に両者はスタート。アキレスは自慢の俊足を飛ばして、時刻T1には亀のスタートした地点X0に到達しました。そのとき亀は少し進んでX1の地点。つづいてアキレスがX1の地点に到達した時刻T2には亀もまた少し進んでX2に。アキレスがそのX2に到達した時刻T3には、またまた亀は少し先のX3に……。アキレスが亀に追いつくためには、その前まで亀がいた地点に到達する必要がありますが、その間に亀は少し先に進むので、アキレスはいつまでたっても亀に追いつけないというのです。


純粋持続と無限分割

このパラドックスは2千年以上にわたって多くの哲学者の関心をひいてきました。そのうちの一人アンリ・ベルクソン(1859年~1941年)は、時間は点で表せるものだとする前提こそがこのパラドックスの原因だと考えます。ベルクソンによると、時間とは意識に直接与えられる持続(これを「純粋持続」といいます)のことで、それは決して(T1,T2,T3のように)細切れにできるものではありません。アキレスの時間は彼がスタートしてからゴールするまで一瞬も止まることなく流れ続けますし、亀の時間もまた同様です。アキレスの時間と亀の時間は本来まったく別のものであるにもかかわらず、それを同質のものとして、ひとつの「モノサシ」ではかろうとしたことが誤りだというわけです。純粋持続として意識に直接与えられている「時間」を、数直線や時計によって捉えようとすることを「時間の空間化」といい、ベルクソンはこれを否定したのでした。

これと関連して大森荘蔵(1921年~1997年)は、アキレスと亀との差がどんどん小さくなりながらも決してゼロにならない理由は、「無限分割」を認めてしまっているからだと考えました。このパラドックスのように、もしアキレスと亀との距離が無限に分割できるのであれば、たとえ1㎝の距離を進む場合であっても無限の点を通過する必要があります。しかし、そんなことは誰にもできません。つまり無限分割を認めてしまうと、アキレスも亀も、もちろん私たちも、1㎝も進むことができなくなるのです。

アクチュアル・エンティティ

「時間の空間化」を否定したベルクソンに対し、イギリスの数学者・哲学者であるアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861年~1947年)はこれを認めます。時間は空間的な塊によってできているというのです。ホワイトヘッドは、すべての物質がそれ以上は分割できない「量子」からできているように、時間にも最小単位があると考えました。彼はその最小単位のことを「アクチュアル・エンティティ」と名付け、時間の流れとはこのアクチュアル・エンティティの生成と消滅に他ならないと主張します。

アクチュアル・エンティティはいまこのときにも次々に生成・消滅しています。ここで注意したいのは、アクチュアル・エンティティが生成されつつあるときには、そのプロセスが現れることはないという点です。ひとつのアクチュアル・エンティティは生成し終わったときに初めてこの世界に出現し、それと同時に消滅して次のアクチュアル・エンティティのデータになります。私たちに認識できるのは、この生成が完了しデータ化されたものだけで、今まさに生成されつつあるアクチュアル・エンティティは知覚することができません。つまり、今見えているものは、すべて過去なのです。私たちはどこまでいっても「本当のいま」に触れることはできないのかもしれません。

中村昇
中央大学文学部教授。中学の時、小林秀雄に、高校の時、南方熊楠に、浪人の時、松岡正剛に影響を受け、その結果、なぜか哲学を専門にする。二年間だけ、土方巽のところで暗黒舞踏家になる。

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