スクリーンは語る

理由なき反抗

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『理由なき反抗』のあまり知られていない事実として、この物語が厳密に「24時間」の枠で展開されるということがある。そして「24時間」という時間サイクルを、そのまま人間の「一生」というライフサイクルに対応させる伝統的類推が、本作にも濃厚に出ていることは特筆すべきことだ。

長い人生において、反抗期というのは一種の「通過儀礼」のようなもので、この過渡期を経験することで大人の世界に参入することができる。しかし現代という儀礼の象徴性が失われ形骸化してしまった時代において、それは難しくなりつつある。『理由なき反抗』という50年代が舞台の物語でも、大人はほぼ反抗する価値がない存在として描かれている。

ジェームス・ディーン演じるジム・スタークは、母にいつも怒鳴られ床に這いつくばりさえする父に失望を禁じ得ない。「理想の父」は失われており、ジムは成長に不可欠な「父殺し」をすることも叶わない。しかしこれは戦後のアメリカにおける、物資の豊かさに伴った精神の貧困を思えば、なにもジムだけの物語だったわけではないのだ。反抗する若者たちはみな中産階級かそれ以上で、経済的貧困と犯罪傾向を結びつけられないという点で、親世代にとって初めて子世代が理解できない遠い存在になった、という当時の社会背景があった。

要するに真の意味で「カウンター・カルチャー」が始まったのだ。それゆえ本作でジュディを演じたナタリー・ウッドが、「ジミー・ディーンなくしてボブ・ディランは存在しえたでしょうか?」と、ある追悼番組でインタヴュアーに問われるのも当然の成り行きだった。しかしウッドの答えは地上に収まらない、宇宙規模の示唆に富むものであった。

「後は続かなかったでしょうね。彼は月の裏側みたいな人だったわ。」

この「月の裏側」という喩えは、反抗期という「通過儀礼」を宇宙と対応させて考えるヒントになりえている。なぜなら、太陽→月→太陽という24時間内の天体の運行を考えると、「月」は一日をサイクルさせるのに不可欠な「闇」の通過を象徴的に表すのであり、人の一生も同じで、反抗期(とその後の成長)には一度「闇」を通過する儀礼が必要であるからだ。

本作では「チキンレース」がその「闇」の通過儀礼の最たるものとなる。これは転校生ジムと不良グループの首領バズが崖めがけて車を走らせ、先に飛び降りたほうが「臆病者(チキン)」と呼ばれる危険な遊戯だ。注目したいのは二人が走る道を挟む形で不良グループの自動車が並び、同時にヘッドライトを照らして「光の道」を作るという儀礼だろう。

儀礼を分離儀礼・過渡儀礼・統合儀礼の三層の「通過」で捉えたファン・へネップの『通過儀礼』という人類学の名著があるが、本書の以下の文がそのままチキンレースの説明になっている。「両断されたものの間を通ったり、二本の枝の間を通ったり、または何かの下を通ったりする儀礼は、かなり多くの場合、ある一つの世界を離れ、別の世界に入るという考えからくる直接的通過儀礼であると解釈すべきであるようだ。」

このチキンレースに挑む前、ジムとバズは二人きりで話をする。バズは自分が吸った煙草をジムに渡しながら、「お前が好きだ」と言う。「じゃあなぜこんなことを?」とジムは問う。「やらなきゃならないのさ」とバズは要領を得ない返事をするが、これは明確にこのゲームの避けられない「通過儀礼」の側面を明らかにしている。実際にバズの死が「分離儀礼」(ある世界、あるグループからの離脱)を表し、登場人物たちは混乱を極める過渡期に入っていく。

これに続いてジム(父)-ジュディ(母)-プレイトー(子)という映画史上最も有名な疑似家族が作られ(過渡儀礼)、同時に解体されるようにしてプレイトーは警察の銃弾に倒れる。この死はバズのものと異なり、皆を大人の世界に結びつける「統合儀礼」の側面がある。ジムがプレイトーの死体にジャケットを被せ、決然たる「大人」の意志を見せるラストがそれを表している。

またプレイトーが死んだグリフィス天文台の意味も大きい。アテネにあるディオニュソス劇場のイメージが本作ではこの天文台に重ねられており、だからプレイトーは古代悲劇のように階段上で死ぬのだと脚本のスチュワート・スターンは種明かししている。要するに『オイディプス王』のような古代悲劇として本作は書かれた側面もあり、グリフィス天文台は(近代的な時計の針で刻まれることのない)古代的時間へと見るものを誘うことになる。

天体の動きと同期するように「24時間」という枠を定められた本作は、明らかに人間のライフサイクルに重ねつつ「成長」が描かれている。とはいえ反抗期という「通過儀礼」は、「俗」なる時間とは異質の「聖」なる時間の出来事だということを、このグリフィス天文台は象徴的に――『ラ・ラ・ランド』によるオマージュを通じてなお一層――物語っている。

後藤護(ごとうまもる)
(暗黒批評系)映画・音楽ライター。『金枝篇』(国書刊行会)の翻訳校正者。代表的論攷に「楕円幻想としての『ラ・ラ・ランド』」、「『ラ・ラ・ランド』と青の神話学」(ともにヱクリヲWEB掲載)がある。佐藤零郎監督『月夜釜合戦』を特集した『キネマ旬報』(2019年3月下旬号)掲載の「背中(せな)で吠えつつ笑殺せしめよ~ILL西成BLUES~」が最新論攷。『機関精神史』編集主幹。

【『ヱクリヲ』とは】
エクリヲ エクリヲ 批評家・佐々木敦の主宰する「映画美学校 批評家養成ギブス第三期」のメンバーを中心として、2014年11月に結成。映画・音楽・文学・美術といった領野を貫通する批評活動を展開している。現在は全国の研究者、批評家や「ゲンロン 批評再生塾」塾生とも協働し、雑誌やweb上で活動している。2018年11月下旬には最新号『ヱクリヲ9』(「写真のメタモルフォーゼ」「アダム・ドライバー 〈受難〉と〈受動〉の俳優」特集)を上梓、全国書店やディスクユニオン等、約100店舗で発売中。

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『理由なき反抗』
ブルーレイ ¥2,381+税/DVD 特別版 ¥1,429 +税
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