スクリーンは語る

ヒロシマ・モナムール

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 「広島で何もかも見たわ」と言う女に対して、「君は何も見ていない」と答える男。『ヒロシマ・モナムール』における、冒頭のこのやり取りは、認識そのものの多義性を考える上で興味深い。1959年の日本公開時には『二十四時間の情事』という邦題がつけられた本作では、反戦映画のロケのために日本を訪れたフランス人女優と、広島在住の日本人技師との間の一日の恋が描かれる。先述の台詞は、ふたりが肌を重ねる中で発せられたものであり、女が広島において被爆者たちの治療風景、原爆資料館に所蔵される焦げた鉄や焼け残った石、またキノコ雲の模型などの、原爆が残した傷跡を見たことがその論拠となっている。

 それに対する「何も見ていない」という男の返答には、(映画の歴史的解釈はひとまず不問として)少なくとも3つの解釈が考えられる。まず、女がフランス人であり、歴史的・文化的土壌をふくめ、現在まで唯一の被爆国である日本の「特権性」を根本からは理解できないという認識である(「原爆」という中心から見れば些末な細部ではあるものの、作中の町をうつしたシークエンスにおいて、本来店じまいのあとに降ろされる暖簾がそのままであったことなどに、監督であるアラン・レネが完全には日本文化を理解できていなかったことがうかがえる)。こうした概念は、他国の人間が原爆を理解する過程において、最初に直面する壁ではあるだろう。

 2つ目は、これは現在の観客の多くに通底することではあるだろうが、そもそも「原爆を見ること」自体が、不可能であるということだ。端的に、それはすべての影を消し去ってしまう「光」である。そしてそれを見たものは、『鏡の女たち』(2003)の制作時における吉田喜重の弁を借りれば、一瞬のうちにこの世から消え去った死者であるのだから、それ以外のいかなる人間にも、自身の体験として語ることはできないのだ。
後世のわたしたちが資料館の展示品などを見たとしても、それらは「原爆」ではなく、「原爆がもたらしたもの」、つまり原爆から二次的に派生したものに過ぎない。それらを見て何かを感じたとしても、そこから本質的な理解へ到達をすることはありえない。

 そして3つ目は、前提として女に原爆そのものを見ようとする意志が欠落しているのではないか、という点である。すなわち、女が自身のトラウマティックな記憶を、原爆の被害に投影しているに過ぎない、と思われることだ。
女は戦時中、本来なら敵であるナチスの将校と恋仲になり、戦後はその「裏切り」に対し、周囲から非難や糾弾を受けた過去を背負っていた。一方、男は原爆の被害で家族をすべて失っており、ふたりはいわば、同じ戦争による傷を持つものとして、精神の根底におけるつながりを得るのである。つまり、ふたりがつながる鍵となる存在が、原爆でなければならない必然性はなかった。そもそも、女がたまたま日本を訪れることがなければ、このふたりが接触の機会を得ることもなかったのだ。

 しかしながら、「何も見ていない」ということは、必ずしも無を意味しない。本作においては、女が偶然に原爆に出会ったこと――それは男との出会いもむろん含まれる――と、女が持つ記憶の混在こそが、原爆という存在から派生した新しい世界を彼女の、ひいては彼女を見るわたしたちの内面に生み出すことに奏功している。それは原爆について異なった経験、また考えをもつ男との会話のなかで、さらに深化がすすんでいく。

 <かつてあった>ことは、もはや失われた存在にすぎず、「不確かさ」の波に押し流されていくことを、わたしたちが留めることはできない。ここで重要であったのは、お互いの原爆に対する認識を、ずれのないものとして共有することではない。むしろ「ずれ」そのものを認識すること、お互いの経験を「不確か」なもの――言いかえれば普遍的なものではなく、固有のものとして受容することであったのだ。その「ずれ」とは、原爆にかかわらず、すべての歴史の継承において存在している。

 中盤、ふたりが「あなたは本当に日本人なの」「君の目は青なのか」と交互に問いかけるシークエンスを思い返そう。答えそのものは自明ではある。しかし、この問いは実は、「相手のことを本当に理解しているのか」と、自分自身に向けられたものであるのだ。そしてこの瞬間、確かにお互いのもつ「不確かさ」は共有可能なものとなりうる。

 わたしたちは、原爆そのもの――すべての影を消す「光」へと到達することはついにできない。しかし、原爆への認識をめぐる「不確かさ」を知り、次世代へ継承するすべは残されている。そのいささか逆説的な幸福を、わたしたちは『ヒロシマ・モナムール』という一本の映画から噛みしめることができるだろう。

若林良(わかばやしりょう)
1990年生まれ。映画批評・現代日本文学批評。ドキュメンタリーマガジン『neoneo』編集委員。専門は太平洋戦争を題材とした日本映画。またジャンルを問わず「社会派」作品全般。

【『ヱクリヲ』とは】
エクリヲ エクリヲ 批評家・佐々木敦の主宰する「映画美学校 批評家養成ギブス第三期」のメンバーを中心として、2014年11月に結成。映画・音楽・文学・美術といった領野を貫通する批評活動を展開している。現在は全国の研究者、批評家や「ゲンロン 批評再生塾」塾生とも協働し、おもに20代の書き手を中心に雑誌やweb上で活動している。2018年5月には最新号『ヱクリヲ8』(「言葉の技術としてのSF」「ニコラス・ウィンディング・レフン――拡張するノワール」特集)を上梓、全国書店やディスクユニオン等、約100店舗で発売中。

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『ヒロシマ・モナムール』
 発売元:アイ・ヴィ-・シ-
 価格:Blu-ray¥4,800 DVD ¥2,800(税抜)

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