スクリーンは語る

ハドソン川の奇跡

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 「事実は小説よりも奇なり」という英国の詩人バイロンの言葉にも表れているように、わたしたちの人生は時にフィクションを超えた数奇な出来事に遭遇することがある。それは人生に裏切るかもしれないし、あるいは思ってもみなかった幸運をもたらすかもしれない。少なからず言えるのは、そのような出来事を体験した以前/以後で人生が大きく変わるということだろう。本作の主人公であるサリー機長(チェスリー・サレンバーガー)もまた数奇な出来事に遭遇し、人生が大きく変わった一人である。

 2009年1月15日15時30分、乗客・乗務員155名を乗せたUSエアウェイズ1549便がバードストライクによって両エンジンが甚大な損傷を被り、制御不能に陥った。当時の機長であるサリーは空港に引き返すことを試みるが、低高度のため不可能だと判断したサリー機長はハドソン川に不時着水を試みる。一見無謀ともいえるこの試みをサリーの卓越した技術により完遂し、乗客・乗員155名全員が無事に生還を果たした。これが「ハドソン川の奇跡」と呼ばれる所以だ。

 近年、実話を基にした人間模様を通じて「アメリカ」そのものを描き続ける巨匠クリント・イーストウッドが以上のような出来事を題材に選んだのは必然だろう。本作は一見すると徹底的に事実通りに撮ることを目指したようにみえるが、単なる事故の再現だけに終始してはいない。映画『ハドソン川の奇跡』はサリーの過去の体験と記憶が挿入されるフラッシュバックなど、ノンリニアな編集が施されており、それは事故の再現というより、一人の人間としてのサリーを克明に描き出している。わたしたち観客は映画を通して、サリーの人生を追体験することになるのだ。

 全世界から英雄として称えられ困惑するサリーは、国家運送委員会(NTSB)からハドソン川への不時着が果たして正しい決断だったかどうかを問われる。時にサリーのプライヴェートな部分や人間性さえもあげつらう彼らの尋問は、事故の人的要因の検証と言いながらも、むしろ人的要素を否定しているようかのようだ。NTSBはあらゆる専門知とアルゴリズムを用いたコンピュータ上のシミュレーションによって、サリーの40数年におよぶパイロット人生をわずか208秒の事件を巡ってふるいにかけていく。ここにあるのはテクノロジーとヒューマニティーの明白な二項対立だ。

 シミュレーションによる試算では空港に着陸可能であったとNTSBから通達され、サリー自身も人命を危機に晒したのではないかと疑うようにさえなる。しかし、サリーはそこには、人的要因が考慮されていないことに気づく。フライトシミュレーションを行う操縦士はコンピュータと同様に思考時間のほとんどない行動をとっており、それは予期せぬ事態に遭遇した人間の行動ではない。35秒の思考時間を想定したシミュレーションでは、ことごとく着陸に失敗しただけではなく、市街地に墜落した可能性があったことが立証される。くわえて、事故当時の音声記録によって、サリーらの人的要因によって、ハドソン川の奇跡は成し遂げられたこともまた遂に証明されるのである。

 テクノロジーに依存した無味乾燥なNTSBに対し、サリーは愚直で規律を重んじ、家族を愛する極めて良心的な人間だ。イーストウッドがサリーに英雄像を見出したのは、このような人々の生活を支えるごく普通の人間に違いない。サリーは自身への疑いが晴れたことよりも、皆の力が合わさったチームプレーを称えた。

 テクノロジーの発展により、今後はさらにあらゆることが計算可能になり、未来さえも予測し得る時代が来るかもしれない。しかし、そこに人的要因が介入する以上、最終的な決断を下すのはわたしたち人間であることに変わりはない。思ってもみなかった偶然、未知との遭遇によって運命を分けるのはサリーのような豊富な人生経験とそれに裏づけされた瞬時の英断なのかもしれない。

佐久間義貴(さくま・よしたか)
1988年生まれ。音楽/音響論。視-聴覚芸術論。主な論考に「反響・パースペクティヴ・深さ――振動するジャームッシュの風景」(『ヱクリヲ6』所収)、「亡霊たちの唱歌――神代映画の〈声〉を聴く」(『ヱクリヲ5』所収)など。

【『ヱクリヲ』とは】
エクリヲ エクリヲ 批評家・佐々木敦の主宰する「映画美学校 批評家養成ギブス第三期」のメンバーを中心として、2014年11月に結成。映画・音楽・文学・美術といった領野を貫通する批評活動を展開している。現在は全国の研究者、批評家や「ゲンロン 批評再生塾」塾生とも協働し、おもに20代の書き手を中心に雑誌やweb上で活動している。2018年5月には最新号『ヱクリヲ8』(「言葉の技術としてのSF」「ニコラス・ウィンディング・レフン――拡張するノワール」特集)を上梓、全国書店やディスクユニオン等、約100店舗で発売中。

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『ハドソン川の奇跡』
ブルーレイ ¥2,381+税/DVD ¥1,429 +税
ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
(C) 2016 Warner Bros. Entertainment Inc. and Ratpac-Dune Entertainment LLC. All rights reserved.

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