スクリーンは語る

映画は人生を映している。それが映画館のスクリーンであれ、テレビの画面であれ、パソコンのディスプレイであれ、いい映画は私たちを「いまここ」とは異なる時間(とき)へと連れて行ってくれます。この連載では、そんな、「もうひとつの人生」と出会う名作を紹介していきます。

スクリーンは語る#06生きる
イメージ『……今、この男について語るのは退屈なだけだ。なぜなら彼は時間を潰しているだけだから。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えないからである。……これでは死骸も同然だ。いや実際、この男は20年ほど前から死んでしまったのである』
スクリーンは語る#05her/世界でひとつの彼女
イメージ主人公の男は、たいてい天と地の中間にいる。彼のライフスペースは高層ビルの一室にあり、そこからは大きな空やほかのビル群が見渡せる。音声認識OSに恋をする、〝地に足がついていない〟彼にぴったりのロケーションだ。だって顔も体も持たない、声と知性だけの人工知能を愛するなんて――。機械と人間、魂と肉体、そうしたもののあいだを行き来する彼自身を象徴するような部屋で、セオドア(ホアキン・フェニックス)とサマンサ(スカーレット・ヨハンソン)は仲睦まじく、あるいはときに大きなハードルを抱えて過ごしている。この部屋の窓から見える空の光は、いつも、まぶしいくらいに煌めいている。
スクリーンは語る#04ヒロシマ・モナムール
イメージ「広島で何もかも見たわ」と言う女に対して、「君は何も見ていない」と答える男。『ヒロシマ・モナムール』における、冒頭のこのやり取りは、認識そのものの多義性を考える上で興味深い。1959年の日本公開時には『二十四時間の情事』という邦題がつけられた本作では、反戦映画のロケのために日本を訪れたフランス人女優と、広島在住の日本人技師との間の一日の恋が描かれる。先述の台詞は、ふたりが肌を重ねる中で発せられたものであり、女が広島において被爆者たちの治療風景、原爆資料館に所蔵される焦げた鉄や焼け残った石、またキノコ雲の模型などの、原爆が残した傷跡を見たことがその論拠となっている。
スクリーンは語る#03ハドソン川の奇跡
イメージ「事実は小説よりも奇なり」という英国の詩人バイロンの言葉にも表れているように、わたしたちの人生は時にフィクションを超えた数奇な出来事に遭遇することがある。それは人生に裏切るかもしれないし、あるいは思ってもみなかった幸運をもたらすかもしれない。少なからず言えるのは、そのような出来事を体験した以前/以後で人生が大きく変わるということだろう。本作の主人公であるサリー機長(チェスリー・サレンバーガー)もまた数奇な出来事に遭遇し、人生が大きく変わった一人である。
スクリーンは語る#026才のボクが、大人になるまで。
イメージ映画の中で長い時間軸の物語が設定される場合、俳優個々の肉体的または心理的要素の変化が、時間相応に表現される。その同一性と差異の巧みな表現は、映画自体の評価基準ともなっている。しかし私たちは、俳優の身体に若さや老化などの細工が施され、その技巧が手本とされるような映画にあまりにも慣れすぎてしまってはいないだろうか。膨大な過去の情報に誰でも気楽にアクセスし遡行できる時代に、スクリーン上で仰々しく設定された時間の細工に、昔ほどの新鮮な驚きを感じていられるだろうか。
スクリーンは語る#01ゴッドファーザー
イメージ『ゴッドファーザー』の数代に及ぶ長大なサーガは、大戦の前後で二様に引き裂かれた「暴力と宗教」の関係を表現しているといえる。物語は主に二人の人物に交互に焦点を当てて描かれる。大戦前後のアメリカでマフィアとして活躍したヴィトー・コルレオーネと、その息子の四兄弟の一人であり、後に財団経営者として更にマフィア組織を拡大したマイケル・コルレオーネである。

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