時間が息づく場

「凍れる音楽」とも称される建築は重層的な時間を内包している。街中の広場や路地にも歴史がある。そんな「とき」を感じさせる場を紹介する。

#06

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国立西洋美術館

建築家というのはときに無茶なことを考えるものだ。パリを拠点に活躍したモダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエが日本に唯一残した建築「国立西洋美術館」は当初、“無限成長美術館”として構想されていた。将来、収蔵品が増えた時はカタツムリの殻のように渦巻き状に拡大していく、というものだ。一見これは合理的でいいアイデアのように見える。しかし敷地は有限なのだから、無限に成長させることはできない。もとは外壁だったところにドアを開けないかぎり、観客は螺旋状の空間をずっと歩いていくことになる。「国立西洋美術館」でも結局、後に増築されたときは中庭を挟んで向かい側に新館が、隣接して地下に企画展示館が作られた。現在では一番最初に作られたスペースにルネサンスなど中世ヨーロッパ美術が、新館では印象派など近代美術が常設展示され、企画展示室では特別展が開かれている。

当初の思惑と違う増築がされたとはいえ、ル・コルビュジエの「国立西洋美術館」は実際に建てられ、60年たった今も使われている。が、建築家の中には「アンビルド」(unbuild、建てない)と呼ばれる人たちもいる。建築家なのに建物を建てないとはどういうことか、と思うが、あまりに大胆なアイデアなので建設不可能なプランばかり出す建築家がいるのだ。
国立西洋美術館 たとえば、新国立競技場のコンペで話題になったイラク出身の建築家、ザハ・ハディドには「アンビルドの女王」という別名があった。彼女が初めて注目を集めたのは1983年、「香港ピーク」という住居兼高級クラブのプロジェクトのコンペで1等に選出されたことだった。彼女の案は多種多様な断片がまるで浮遊しているように見える不思議なもの。残念ながらこのプロジェクトは注文主の倒産により実現しなかった。その後も曲面を多用した彼女の建築案はコストなどの面で実現が難しく、長年実作のない時期が続いた。現在ではロンドンオリンピックで使われた「アクアティクスセンター」など、いくつか完成作品がある。

イギリスの「アーキグラム」という建築ユニットはもっとすごい。6人の建築家が集まって1961年に結成され、1974年に活動休止した彼らは足がついていて移動可能な「ウォーキング・シティ」、さまざまなユニットを目的に応じて組み合わせられる「プラグイン・シティ」などを提案、カラフルなグラフィックで表現した。ポップでサイケデリックな絵柄から「建築界のビートルズ」の異名もある。

こんな調子だからアーキグラムの案で実現したものは一つもない(メンバーが個人で設計したものの中には実際に建てられたものもある)。しかし彼らの夢のようなプランは後に建築だけでなく、さまざまなジャンルに影響を与えている。たとえばディスプレイを組み込んだメガネ「インフォ・ゴンクス」は現在各所で実験されている製品の先取りをしたものといえる。黒川紀章の設計で建てられた「中銀カプセルタワー」はカプセル状の住居ユニットが老朽化したら交換することを考えていた。実際にユニットが交換されることはなかったが、この建築は「プラグイン・シティ」のアイデアを部分的に具現化したものとも考えられる。アーキグラムのSF的な思考は形を変えて実を結んでいるのだ。

そもそもどんなに荒唐無稽なアイデアでもコストや工期を度外視すれば建てられるものが多いのだ。建築として考えられたアイデアが、建築以外のものに活かされることもある。技術的に不可能だったことでも、テクノロジーの進化で可能になることもある。建てられなかった、あるいは実現しなかった建築のプランには未来に実現するかもしれない“夢”のヒントがある。何を夢みたいなことを言っているんだ。そう言われたらもっと大人になれ、現実と折り合いをつけろ、ということだけれど、それがいつも正しいとは限らない。現実性などつけずに考えたことが将来、大きなイノベーションにつながるかもしれない。時間が夢を現実にしてくれるかもしれないのだ。建てない建築家の存在意義はそんなところにある。

ル・コルビュジエの夢は途中までしか実現しなかったかもしれないけれど、その空間は彼の夢を饒舌に語っている。柱で持ち上げられた建物は彼が提唱した「近代建築の5原則」の一つ、「ピロティ」だ。かつてはガラスの壁がなく、奥まで進んでいくことができた。そこから「19世紀ホール」と名づけられた吹き抜けのホールに出る。天窓から光が入るこのホールの一面にはスロープがあって、2階へと上っていく。この道行きをル・コルビュジエは「建築的プロムナード(散歩道)」と名づけた。空間の移動が、ゆっくりとした時間の流れを意識させる。主に絵画が展示されている2階の一部は天井も低い、こぢんまりしたスペース。美術館というより、住宅のサイズだ。自宅に飾ったアートを見るようにリラックスして作品と向き合える。

2019年2月19日から5月19日までは「国立西洋美術館」の開館60周年を記念して「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」展が開かれる。ル・コルビュジエの絵画作品と同時代のブラックやピカソらの絵画のほか、家具や建築模型なども並ぶ。これは企画展だが、今回は地下の企画展示室ではなく、ル・コルビュジエが設計した本館で開催されるのだ。彼はこの本館を、同時代の西洋美術を紹介する美術館にしたいと考えていた。現に開館当初は、当時存命だったピカソやミロの展覧会が行われている。今回の展覧会では久しぶりにル・コルビュジエが考えた通り、建物と同時代の作品が並ぶことになる。建築の中を流れる時間は一定ではなく濃淡があり、ときに行ったり来たりする。アートにはより深く、複雑な時間が内包されている。無限に成長したかもしれない建物で、建築家の夢に思いをはせる、そんな一日が過ごせる美術館だ。

〈データ〉

東京都台東区上野公園7−7
tel. (03)5777-8600(ハローダイヤル)
常設展観覧料:一般500円ほか 企画展は別途定める(2019年2月19日から5月19日の「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」展は一般1600円。この期間中、世界遺産に登録された本館展示室を見るにはこの展覧会の観覧券が必要になる)
開室時間:9:30〜17:30(金・土〜20:00)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜)、年末年始(その他臨時休館日あり。詳細は美術館のウェブを参照)
http://www.nmwa.go.jp/

青野尚子(あおの・なおこ)

青野尚子(あおの・なおこ)
建築・アートを中心に執筆。ときどき土木も。共著に「新・美術空間散歩」(日東書院本社)、「建築がすごい世界の美術館」(パイ・インターナショナル)。

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