時間が息づく場

「凍れる音楽」とも称される建築は重層的な時間を内包している。街中の広場や路地にも歴史がある。そんな「とき」を感じさせる場を紹介する。

#05

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龍安寺

名庭と言われる庭園の多い京都でも世界的にその名を知られる龍安寺の石庭。誰がつくったのか、白砂と石、石に生えた苔のみで構成されたこの庭にどのような意味があるのか、これまでにさまざまな論が提出されてきた。

龍安寺は室町時代中期、細川勝元(ほそかわかつもと)が徳大寺家の山荘を譲り受けて創建したもの。応仁の乱によって伽藍を焼失、勝元の子、細川政元(ほそかわまさもと)により明応8(1499)年に再興された。その後寛政9(1797)年に火災のため焼失、慶長11(1606)年に塔頭・西源院(せいげんいん)を移築した。有名な石庭は龍安寺の方丈庭園になる。

石庭は築地塀(ついじべい)で囲まれた250平方メートルほどの平坦な庭に白砂を敷き、大小十五の石を五群に分けて配したもの。作者については創建者の細川勝元や政元、絵師の相阿弥、茶人の金森宗和、作庭で知られる茶人大名・小堀遠州らの名が上げられているが、いまだ結論は出ない。庭が何を表しているのかもミステリアスだ。中国の故事にある「虎の子渡し」(虎が三匹の子を産むとうち一匹は獰猛なので、母虎の目が届かないところで三匹を一緒にしておくと獰猛な一匹が他の二匹を食べてしまう。川を渡る際、一度に一匹しか運べない母虎が三匹とも無事に向こう岸に運ぶにはどうするか、という命題)、海に浮かぶ5つの島、「心」という字を表している、十六羅漢、七五三、黄金分割など、多彩な解釈が試みられているが、何が正解なのかはいまだわかっていない。

実際にこの庭に出かけて思ったよりも小さいな、と感じた人は多いのではないだろうか。実を言うと私はその一人だ。子供の頃に一度、それから数十年の時を経て訪れたせいでもあるだろう。さらに有名すぎるこの石庭についてはあまりにも多くのことが語られ、大量の図像が流通しているので、頭の中で実像よりも大きなイメージができあがってしまっているのだ。石庭が実際より大きく見えるもう一つの理由は、向かって右側の築地塀が手前は高く、奥に行くほど低くなっていることだ。パースが強調されてより奥行きが深くなっているように感じられる。この石庭がシンプルであることもこの「脳内拡大化」に寄与している。石庭の写真でよく見る、縁側から見たアングルだと大きさを推測するものは背後の木しかないのだが、葉や枝のサイズや太さは樹種によってさまざまだから、スケールを割り出すのが難しい。
龍安寺 徹底して要素をそぎ落としたシンプルな空間だからこそ、多様な解釈を誘う。西洋の庭園に見られるトピアリー(木を刈り込んで犬などの形にしたもの)のように具象的なもののない、抽象化された形態はどのような解読も許容する。余白が多い、つまり行間を読むその余地が多いから、語られていないことを見る者が語りたくなる。むしろそれこそが作者の意図なのでは、と感じるほどだ。以前、香川県の直島にあるジェームズ・タレルの作品『南寺』を鑑賞したときのことを思い出す。この作品は一寸先も見えない暗闇の中に入ってしばらく前を見つめていると、白い四角形が浮かび上がってくるというもの。人間の目の暗順応を利用したアートだ。見終わって出てきたとき、他の観客が「これはつまり、じっと座って自分の来し方行く末を考える、ってことなのかね」と話しているのが聞こえた。もちろんそう解釈することもできるし、違う見方もあるだろう。その場に身を置いてしばらく空間を見つめる、その体験から思いがけない思考が生まれてくる。禅問答のように、解よりもそこに至る過程が重要なのだ。そんな場所はいくらでもあるようでいて、そうはない。

庭に面した方丈は昭和に入って描かれた水墨画の襖絵で飾られている。庭と合わせてモノクロームの世界が広がる。が近年、石庭の石を洗浄したところ、長年のくすみが洗い落とされたのか意外にもそれぞれ個性的な色や模様が現れた。さらに2010年、アメリカのオークションで仙人などを描いた狩野派の襖絵が落札され、龍安寺の所蔵となる。また2018年12月には9面の「芭蕉図」が戻ってきた。これらの襖絵は龍安寺の本堂を飾っていたものだ。襖絵は金地に濃彩で描かれた重厚かつ華やかなもの。力強い桃山絵画の特色を現す。かつては70面以上もあったと言われるこの襖絵は明治の廃仏毀釈のあおりを受けて売却され、戦後に散逸してしまう。ほかの襖絵のうち、アメリカのメトロポリタン美術館に所蔵されているものなどもあるが、大半は所蔵が確認できていない。

1世紀の時を経て龍安寺に戻ってきた襖絵は2019年1月10日から6月10日まで一般公開される予定だ。これまでも「京都非公開文化財特別公開」などのイベント時に期間限定で公開されたことがある。2013年、東京国立博物館で開かれた特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」展では、メトロポリタン美術館所蔵の襖絵などと合わせて展示された。龍安寺での公開時には石庭を鑑賞してからこの豪華絢爛な襖絵に対峙すると、ちょっと不思議な気分になったものだ。

美術史家の辻惟雄氏は「わびさび」に加えて「かざり」という概念を提唱している。日光東照宮などに見られる色鮮やかで装飾的な美意識を指すものだ。龍安寺にも「わびさび」の石庭と「かざり」の襖絵、二つの美意識が融和していたかと思うと、石庭にもこれまでと少し違うイメージがわいてくる。もちろん季節ごとに色を変える木々も静かな庭にさまざまな景色を付け加える。単純極まりない石庭は訪れる度に見る側が成長しているからなのか、異なる思考がわいてくる。同じものであるように見えて庭も姿を変え、自らも変化するのが感じられる庭なのだ。折しも年の瀬、もうすぐ新年がやってくる。同じ一日であっても特別な感じがする新しい年の日に、今までとは違う自分を発見したい。

〈データ〉

京都市 京福電鉄・龍安寺駅から徒歩7分
tel. 075-463-2216
拝観料: 大人・高校生500円、小・中学生300円
開館時間:3月1日~11月30日 8:00〜17:00、12月1日~2月末日 8:30〜16:30
http://www.ryoanji.jp/

青野尚子(あおの・なおこ)

青野尚子(あおの・なおこ)
建築・アートを中心に執筆。ときどき土木も。共著に「新・美術空間散歩」(日東書院本社)、「建築がすごい世界の美術館」(パイ・インターナショナル)。

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