時間が息づく場

「凍れる音楽」とも称される建築は重層的な時間を内包している。街中の広場や路地にも歴史がある。そんな「とき」を感じさせる場を紹介する。

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日本橋

東海道など江戸の五街道の起点であり、日本の交通網の原点ともいえる日本橋。この日本橋の上には1964年の東京オリンピック直前の1963年に高架になった首都高速がかけられた。それ以来、景観論争の的となっている。麒麟や獅子の像で装飾された美しい日本橋の上に無粋な高架道路があるのは目障りだ、という論だ。撤去して欲しいという請願書や署名も提出され、2006年には有識者会議「日本橋川に空を取り戻す会」が「日本橋地区の美しさと魅力を創出する事業」を推進するよう、提言書を発表している。首都高建設時も議論の的となったようで、1979年に発行された「首都高速道路公団二十年史」(首都高速道路公団編)では反対意見に触れ、さらに「しかし当時この付近の構造美については、とくにその評判が高かったものである。」と自己弁護ともとれる記述をしている。

この首都高の地下化がついに実現するかもしれない。2016年夏、国交省と都知事が本格的な検討を始めると発表したのだ。2020年のオリンピック閉幕後に着工し、10〜20年がかりで工事を進めるという。

首都高撤去派は歓迎の意向だが、反対論もあがった。理由の一つは3000億円を超えると試算されている工費。もう一つはちょっと意外に聞こえるかもしれないが、「景観」だ。日本橋の上に高架の高速道路がかかる眺めを残してほしい、というのだ。

撤去反対派の意見は主に、最近盛んになっている「インフラツーリズム」や土木の愛好者から出ている。ダムや工場、橋、そして高架道路のジャンクションを「愛でる」人たちだ。彼らはそういった巨大構造物に首都高速道路公団が言及した「構造美」を感じ、さまざまに楽しんでいる。関連の書籍も多い。

日本橋から見上げる首都高は確かにダイナミックだ。首都高建設当時、橋の中央に立っていた道路元標を避けるため上下線で左右に分かれた高架が、川の上を滑るように伸びていく。石造りの日本橋の上に鉄筋コンクリートによる首都高とが重なって、未来都市的な雰囲気も感じられる。そもそも日本橋の上に高架がかかったのは半世紀以上も前のこと。現在60歳ぐらいから下の世代にとっては物心ついたときから存在している、馴染み深い光景となっているのだ。
日本橋01 ここで改めて、論争の中心となっている日本橋について見てみよう。1603年、江戸幕府開闢の年に初代の日本橋が架橋されて以来、およそ20回にわたって架け替えられた。江戸東京博物館にはかつての日本橋を復元した原寸大模型がある。1806年と1819年の改架記録や絵画、現存する1658年の銘入りの擬宝珠などをもとにしたものだ。擬宝珠は江戸時代には幕府が造営し、修復費用も負担する「御普請橋」に付けられ、日本橋のシンボルともなっていた。有名な歌川広重「東海道五十三次内 日本橋 朝之景」などの浮世絵にもよく描かれている。江戸東京博物館の模型の幅は実物と同じ4間2尺(約8メートル)、長さは本物の28間(約51メートル)の半分だが、実際に渡ることもでき、当時の様子をしのぶことができる。

現在の日本橋は1911年に完成したものだ。意匠(デザイン)設計は妻木頼黄(つまきよりなか)。旧横浜正金銀行本店(現・神奈川県立歴史博物館)、旧横浜新港埠頭倉庫(現・横浜赤レンガ倉庫)などを手がけた建築家である。通常、橋の設計は土木技術者の仕事であって、建築家の出番はあまりない。が、この日本橋を作るにあたっての東京市(当時)の意気込みはかなりのものだった。東京一、いや日本一の名橋にしたいと妻木を採用する。彼はそれに対して「日本趣味を帯びた装飾を施す」必要がある、と応える。当時、主流になりつつあった鉄筋コンクリート橋ではなく石造アーチ橋としたのも美観と風格を重んじたためだ。

橋には麒麟や唐獅子の像が置かれて、重々しさを演出する。唐獅子は当時の東京市の市章を抱えている。擬宝珠もちゃんとついている。照明灯のデザインもなかなか凝ったものだ。本体には丈夫な花崗岩が使われている。アーチ部分や橋脚、橋台、側壁など、それぞれの箇所に合った石を全国から取り寄せた。ヨーロッパ風のアーチ橋に和風の装飾がつけられた和洋折衷の日本橋はこうして生まれた。その後の関東大震災や第二次世界大戦の東京大空襲にも耐え、100年以上の時を刻んでいる。1999年には国の重要文化財にも指定された。
日本橋02 面白いのはこの日本橋が1911年に完成したときもデザインについて議論が巻き起こったことだ。新しい時代を迎える立派な橋として褒め称えられる一方、反対派は都市を支える橋にふさわしい重厚さに欠けると非難した。将来、周囲の建物が高層化すると橋が貧弱に見える、装飾が繊細すぎる、といった論があがったのだ。この論争はパリのエッフェル塔を思わせる。完成当時のエッフェル塔は非難囂々、「醜い鉄の塔」といった扱いだった。今ではパリ一番の観光名所であることを思えば意外なほどの嫌われようである。

美醜の判定には個人の好みも反映されるし、数値化できるものではないから、景観論争は決着がつきにくい。多少、工費や維持費がかかってもそこが観光名所となり、それによって経済効果が見込めるのなら有効な投資だと考えることもできる。近年では模型だけでなくVR(ヴァーチャル・リアリティ)によるシミュレーションで完成後の姿を予想することもできるけれど、実際にはできてみないとわからないことも多い。日本橋の首都高地下化に関してもしばらくは議論がされることになるだろう。首都高を撤去する、しないにかかわらず、将来の人々がどう判断するのかも気になるところだ。

参考文献

井上安正著
「翔べ巨鳥」 学芸出版社

青野尚子(あおの・なおこ)

青野尚子(あおの・なおこ)
建築・アートを中心に執筆。ときどき土木も。共著に「新・美術空間散歩」(日東書院本社)、「建築がすごい世界の美術館」(パイ・インターナショナル)。

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