人間と時間

#19

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ドリアン・グレイの肖像

いつまでも若いままでいたい。それは男女問わず多くの、いや、ほとんどすべてといっていい人の願いではないだろうか。健康な体、シワのない肌、旺盛な好奇心、そして未来への限りない可能性。生命に輝きをもたらすものを「力」と呼ぶのなら、若さこそが正に力であることを私たちは知っている。同時に、それがいつか失われてしまうことも。花は散るから美しい。だがもしも、永遠に咲き続ける花があったとしたら、その先には何が待ち受けているだろうか。オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』には、その答えの一つがある。

貴族の血をひく絶世の美男子ドリアン・グレイは、友人の画家バジル・ホールワードが今仕上げたばかりの肖像画を前にして言葉を失っていた。頬は紅潮し、その目が喜びに輝く。自分はこんなにも美しいのか! その感動はしかし、すぐに絶望に変わる。

そうだ、いつか、この顔もしなびてしわだらけになり、目はどんよりと輝きを失い、優美な身体つきもくずれて無様になるのだ。この紅い唇も色あせ、金色の髪も輝きを失う。人生は魂を育てるが、一方で肉体を損なう。彼は無様でおぞましく、醜悪な生き物になってしまうだろう。(ワイルド著/仁木めぐみ訳『ドリアン・グレイの肖像』光文社 P55)

しかし、彼がどれだけ年老いていこうとも、この肖像画は変わらない。今のままの若さと美しさであり続ける。「反対だったらいいのに」ドリアン・グレイは願った。時を重ねるほどに絵の方が変わっていき、自分は今のままの姿でいることを。そして、その願いはかなえられた。彼は何年にもわたって描かれたときのままの美しさで人びとを魅了し、自らの快楽のために堕落させ、何人かは死へと追いやっていく。その度に彼の肖像画には残忍なシワが刻まれ、醜く変貌していくのだった……。

タイトルから明らかなように、この小説では芸術が大きなテーマとなっている。ここでいう芸術とは、永遠に損なわれることのない美のことだ。ドリアン・グレイは自らの肖像画にかわってそれを手に入れた。人生を芸術にしたのだ。しかしそれによって、彼は自らの時間を失ってしまったのではないか。彼の周囲ではさまざまな変化がおきる。人びとは彼を愛し、裏切られ、憎み、年老いていく。しかし彼自身は変わらない。そして、変化のないところに時間は流れないのだ。少年のように輝く顔とは裏腹に、彼はもはや生きていない。ドリアン・グレイの存在は、彼以外の人間のためだけにある。鑑賞する者がいて、初めて芸術が成り立つように。

著者のオスカー・ワイルドは「芸術が人生を模倣するのではない。人生が芸術を模倣するのだ」という言葉を残したそうだ。私たちが若さを求めてやまないのは、もしかするとそれが理由かもしれない。しかし、それは同時に「自らの時間=いのち」を放棄する危険をはらんでいる。もしもあなたが肖像画を描いてもらう機会に恵まれたとしても、めったなことは願わないのが身のためだ。

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