人間と時間

#16

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論語

論語は言わずと知れた孔子(前552年―前479年)とその弟子たちの言行録で、中国の大古典「四書」のひとつである。その一節「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。(…)」を自己に当てはめて、自らの来し方と行く末に思いを馳せたことのある方も多いだろう。そんな孔子の人生観を理解する上で欠かせないのが次のことばだ。

子の曰(のたま)わく、述べて作らず、信じて古(いにし)えを好む。(金谷治訳注『論語』岩波文庫 P127)

「(古いことに基づいて)述べて創作はせず、むかしのことを信じて愛好する」。つまり、孔子のことばは彼自身のオリジナルではなく、古(いにしえ)の賢者や故事に基づいたものだというのだ。東洋を中心とした世界各地の思想や文化のバックボーンとなった「儒教」の始祖の言葉としては意外な気もするが、この「自分は過去の教えを受け継ぐものである」という姿勢が、二千数百年の長きにわたって儒教の命脈を保ってきた要因の一つなのかもしれない。

それでは、その教えとはどういうものか。あえてひとことで表現すなら、「道を求める」ということではないかと思う。

子の曰わく、朝(あした)に道を聞きては、夕べに死すとも可(か)なり。
先生がいわれた、「朝(あさ)に[正しい真実の]道が聞けたら、その晩に死んでもよろしいね。」(P74)

これも非常によく知られたことばだが、すぐに「そうですね」とは言い難い。道が聞けてもその日にうちに死んだら意味がないのでは、などと思ってしまうが、道を知ることはそれほどまでに困難であり、だからこそ人生の目標となりえるのだ、ということなのだろう。以下、道とのかかわりが深そうなことばをいくつか引用してみよう。

先生はいわれた、「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ。」(P41)

先生がいわれた、「富と貴い身分とはこれはだれでもほしがるものだ。しかしそれ相当の方法(正しい勤勉や高潔な人格)で得たのでなければ、そこに安住しない。(…)」(P72)

先生がいわれた、「道徳を修めないこと、学問を習わないこと、正義を聞きながらついてゆけないこと、善くないのに改められないこと、そんなになるのがわたしの心配ごとである。」(P128)

先生はいわれた、「(…)仕事を先きにして利益は後(あと)まわしにするのが、徳をたかめることじゃなかろうか。自分の悪い点を責めて他人の悪い点を責めないのが、邪悪(よこしま)を除くことじゃなかろうか。(…)」(P241)

先生はいわれた、「早く成果をあげたいと思うな。小利に気をとられるな。早く成果をあげたいと思うと成功しないし、小利に気をとられると大事はとげられない。」(P260)

これらのことばからは「何を為すか」以上に、それを「どう為すか」を重視する姿勢を読み取ることができる。富や身分、利益、成果といったものを否定しているわけではない。しかし、そこに至るには正しい順序があり、やり方がある。ただゴールを目指すのではなく、「道」にこそ目を凝らせ。人生の目的は「死」に辿り着くことではなく、あらゆる瞬間を「どう生きるか」なのだから。そうしてみると、『論語』とは孔子の「時間(とき)デザイン」に他ならないのではないだろうか。あらためて、冒頭に引いたことばの現代語訳を見てみよう。

先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命(てんめい)をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」(P35-36)

とても凡人の及ぶところではない……が、いまや人生100年の時代。それぞれに30歳プラスして、「四十有五にして学に志す。六十にして立つ。七十にして惑わず……」ならなんとかいけるかもしれない。いかがでしょうか、先生?

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