人間と時間

#13

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スロー・イズ・ビューティフル

「次にまいります3番線の電車は、途中駅混雑の影響で3分ほど遅れております。お急ぎのところ電車遅れまして、誠に申し訳ございません」

ため息をついてスマホを取り出し、「何してんだよ」と心の中でつぶやく。隣に並んでいるサラリーマンから舌打ちが聞こえる。毎日の生活で電車を利用している人なら、こんな体験は日常茶飯事だろう。電車やバスが遅れて嬉しい人はいない。それにしても私たちは、なぜ、こんなにイライラするのだろう。時間通り、計画通り、効率よく、なるべく早く……。そんな現代社会は私たちから何かを、人間としてとても大切な何かを奪ってしまったのではないだろうか。辻信一著『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)は、そのことに気づかせてくれる一冊だ。

「今はそれどころじゃない」と大人が言う。すると子どもが「じゃあ、どれどころなの?」。「こうしてはいられない」と大人。「じゃあ、ああしたら?」と子ども。ぼくたち大人は確かによく「こんなことをしている場合じゃないと思い、またそれを口にする。では、どんなことをしている場合なのだろう。
「今はそれどころじゃない」と言われて、「それ」は否定される。外される。しまい込まれて、やがて忘れられる。「それどころじゃない」と一度言われた「それ」が、もう一度呼び戻されて「今こそそれを」となることはほとんどない。(P24)

話題のあの映画を見に行ってみよう。学生時代の友達に久しぶりに連絡してみるか。休みをとって、ゆっくり温泉でも……。そんな「それ」は頭に浮かんでしばし漂(ただよ)った後、「今はそれどころじゃない」にのまれ、いつの間にか消えてしまう。まるで波打ち際につくった砂の城が、ゆっくりと波にさらわれるように。そして私たちはいつも通り「効率的」で「なる早」な一日を過ごすのだ。そんな私たちに、本書は根源的な問いを投げかける。

何かをするには時間がかかる。何をするにも時間がかかる。「時間がかかる(テイク・タイム)」ということ、それは我々の社会では、すでにひとつの障害である。困ったことであり、厄介事なのだ。なんとか解決し、克服すべき問題だ、と考えられている。(…)それにしても「時間がかかる」ことはいつから問題となったのだろう。(P93-94)

わからないことは1秒で検索できる社会を私たちは生きている。ファストフード店に行けば10分で食事ができ、ネットで注文したものは1時間で届き、1日もあれば地球の裏側にだって行くことができる。技術の進化はたしかに、目的を果たすまでの時間を短縮してくれた。一方では私たちは待つことがもたらしてくれる喜びを、道のりを楽しむということを忘れてしまったのではないだろうか。一体なぜこうなったのだろう。

シューマッハー(編注:イギリスの経済学者。エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー)は言う。技術は、人間がつくったものであるはずなのに、「独自の法則と原理で発展していく」、と。それは、自然界というものが成長や発展を「いつどこで止めるかを心得ている」のと対照的だ。(P215)

私たちがいつも気にかけている時間、コンビニの弁当をかき込み、閉まりかけたドアに駆け込んで節約しようとしている時間、それは科学技術によって管理された現代社会が私たちに強制しているものに他ならない。もっと速く、もっと効率よく、最短ルートでゴールに辿り着け、と。このような時間に本書は警鐘を鳴らす。

ぼくたちのますますファストな社会生活は、ますます水や空気を汚し、オゾン層に穴を開け、地球温暖化を加速させ、生態系を破壊している。だがそれだけではない。外なる自然環境の悪化を語るまでもなく、昔ながらのスローな時間を生きようとする内なる身体的な自分もまた、加速する社会的時間に押しつぶされ、窒息しそうなのだ。(P143-144)

私たちは、社会的時間を絶対視するのではなく、今こそ「生命や地球を司る時間」の重要性を認識すべきではないだろうか。スマホに表示されるデジタルな時間から、月の満ち欠けや木々の移ろいが教えてくれる自然の時間(とき)に目を移すべきではないだろうか。技術がどれだけ進化しても、人間の身体は変わらない。先行する生命から生まれ、成長し、成熟し、次の生命を生みだす。この身体は私たちにとって、何よりも身近な自然なのだから。

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