人間と時間

#11

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ためにならない話

私たちの日常は目的と手段でできている。金を稼ぐために働く。試験に合格するために勉強する。インスタにあげるために旅行に行く……。世の中の物事は必ず、ほかの何かの「ために」存在しているのだ。星新一のショートショートを読むと、そんな「常識」の怪しさに気づかされる。たとえばこんな話。

お金持ちのエヌ氏は離れ島の別荘でひとり静かに休暇を過ごすため、博士から「なんでもできるロボット」を買った。ロボットは実に役に立った。ビールを持ってきてグラスにつぎ、おいしい料理をつくり、へやの掃除をして、おもしろい話を次々に聞かせてくれた。申し分のない召使だ。しかし、二日ほどで様子がおかしくなる。命令してもまったく動かない。大声を出しても、たたいてもダメだ。仕方なくエヌ氏は自分で料理をつくり、掃除をするハメとなった。ほどなくして元に戻ったロボットだが、その後もたびたび故障して、逃げたり、暴れたり、腕を振り回して追いかけてきたりした。ようやく迎えの船が来て島から戻ったエヌ氏は、博士に文句を言って返金を迫った。それに対して博士いわく。

「まあ、説明をお聞き下さい。もちろん、故障も起こさず狂いもしないロボットも作れます。だけど、それといっしょに一カ月も暮らすと、運動不足でふとりすぎたり、頭がすっかりぼけたりします。それでは困るでしょう。ですから、人間にとっては、このほうがはるかにいいのです」(『きまぐれロボット』角川文庫 P45)

他に、こんな話もある。

エヌ氏は仕事中、いっさい休憩をとらない。コーヒーを飲むことも、食事をとることも、トイレに行くことさえない。ベルトコンベアで運ばれてくる書類に目を通し、次々と処理していく。そうして定時になるとまっすぐ家に帰り、書斎にこもって経営学や新しい分類法といった仕事の役にたつ本を、寝る時間になるまで読みふける。なんという勤勉さ! 実はこれ、ぜんぶ夢の中の話。といっても、この仕事が無駄になるわけではない。寝ているあいだ頭につけている装置によって脳波の変化がつとめ先に送られ、事務器を動かして実際に仕事をするのだ。読んだ本の内容もこの装置が頭の中に送り込んでくれる。この装置のおかげで人類は、仕事や読書といったイヤな作業を夢の中に押し込むことに成功した。まさに夢のような話。その割に、仕事を終えたエヌ氏はあまり楽しそうではない。

エヌ氏はベッドに横たわったまま、酒を飲み、だらだらと食事をし、ぼんやりと寝そべったままテレビを眺める。時には麻酔薬を飲み、ピンク色の幻覚を楽しんだりもする。ほかにはなんにもやらない。目ざめている時間は、かくのごとく、なんということもなく過ぎてゆく。ここで休養をとっておかないと、疲れが夢の中まで持ち越され、仕事によくない影響がでてくるのだ。(『未来いそっぷ』新潮文庫 P229-230)

人間の世話をするためのロボットが逆に人間に世話を焼かせ、しかしそれによってエヌ氏は健康をキープする。休養のための睡眠中に仕事ができるようになったことで、逆に起きている時間が休養にあてられる。このふたつの話には、目的と手段を固定化することへの皮肉が込められているように思う。睡眠が働くための休養だなんて、いったい誰が決めたんだ。最高の睡眠をとるために、全力で働いたっていいではないか。食べるための料理ではなく、料理すること自体を楽しむこともできる。仕事が金を稼ぐ手段であることを否定はしないが、仕事そのものにやりがいや楽しさを見出すことはそんなに珍しいだろうか。

私たちはどうも、「ために」がないとうまく行動を起こせないらしい。そして、行動しているからには、そこに何らかの「ために」があるはずだと考えてしまう。しかし、全部が全部そうではない。目的のない行動も、あるいは行動そのものが目的であることも大いにあるのだ。今日があるのは、明日のためだけではない。「何のために生きているのか」はそう簡単にはわからないけど、「いつか死ぬため」じゃないことだけは間違いないだろう。

「ために」はかくもあやふやで、時に怪しげなものなのだ。そのことに気づいてもらうために、このコラムは書かれたのである。

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