人間と時間

#07

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時間と自己

「時間という現象は、私が私自身であることと厳密に一致する」。そんな、私たちの抱く時間のイメージとはかけ離れた説を展開するのが 木村敏著『時間と自己』(中公新書)だ。タイトルからしていかにも難しそうだが、具体例が豊富なので、専門知識がなくてもよくわかる 。



本書はまず「もの」と「こと」の違いについて述べる。私たちは日々、実にさまざまな「もの」に囲まれて生活している。スマホ、テレ ビ、部屋、電車、オフィス。実体のあるものばかりではない。仕事、役職、重さ、速さなども「もの」だ。これらの特徴は、それ自体で独 立したイメージを想起できることだといえるだろう。「もの」は生活空間や意識のなかで「客観的に固定」されている。



それに対して「こと」はどうか。毎朝7時に起きるということ。音楽を聴きながら電車に乗るということ。仕事終わりのビールがうまい ということ。このような「こと」が成立するには、言葉としては出てこないが、それを体験する主観の存在が欠かせない。



(…)ことがこととして成立するためには、私が主観としてそこに立ち会っているということが必要である。(P18 )

これを踏まえて著者は「こととしてのいま」に注目する。それは、「いま」と言った瞬間にすでに過去になってしまう、というような「 いま」ではない。「こととしてのいま」は、過去や未来へのひろがりを持っている。



毎週の会議で議論される「いま何をすべきか」の「いま」は未来へとひろがっている。それは、「いまから何をすべきか」と言い換える ことができるだろう。一方で、いつまでたっても配達されないピザ屋にクレームの電話をしたときの「いま出ました!」の「いま」は、過 去へとひろがっている(出たのが事実だとすれば)。



こととしてのいまは、未来と過去の間に切れ目を作らない。というよりもむしろ、われわれの自然な体験に即してい うならば、このいまのひろがりを「いまから」と「いままで」との両方向に展開してみたときに、そこではじめて未来と過去のイメージが 浮かび上がってくる。いまは、未来と過去、いまからといままでとをそれ自身から分泌するような、未来と過去のあいだなのである。(… )あいだとしてのいまが、未来と過去を創り出すのである。(P29)

未来と過去を創り出すような「いま」は、当然、客観的に固定された「もの」ではありえない。それは主観のはたらきに伴って動き、そ のときどきの意識によって自在に伸縮する。



(…)時間は単純にわれわれに対して外部から与えられているようなものではない。それは、私自身がそこに立ち会 っているいまが以前と以後の両方向に拡がっているということであり、私自身がいまここにあるという現実から切り離すことのできない、 こと的なありかたをもった現象である。(P64)

まとめよう。時間という「こと」は、「こととしてのいま」によって創り出される。そして、その「いま」を成立させているのは、一人 ひとりの主観に他ならない。私たちは時計の針という「もの」の先に私たち自身のあり方を、さらに言うなら、代替不可能な、唯一無二の 人生のひろがりを感じ取っているのだ。



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