人間と時間

#03

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「時間」を哲学する ―過去はどこへ行ったのか―

過去はどこへ行ったのか? 21世紀の日本に、こんな疑問を持っている人がはたして何人いるだろう。このページを開いたのも何かのきっかけだと思って、10秒ほど考えてみてもらいたい。

「どこへ行ったも何も過去は過ぎ去っているんだから、その記憶だけが頭の中にあるんじゃないの」といったあたりが、きっと、常識的な答えではないだろうか。これに対して本書の著者、哲学者の中島義道は「過去はどこへも行かない」と主張する。一体どういうことだろう。

著者はまず、「過去‐現在‐未来」が時間の基本的なあり方だとした上で、時間を理解する要は「現在と過去との関係」であるという。これを「〈いま〉はいつ、どのようにして過去になるのか」と言い換えて考えてみよう。

あなたは〈いま〉コンサート会場でベートーベンの交響曲(別にAKBでも嵐でもいいのだが)を聞いている(これをE1とする)。やがてコンサートが終わり、満場の拍手の中で席を立つ(E2)。コンサート会場を出て、帰りの電車に乗り込む(E3)。この一連の流れの中で交響曲を聞いているE1が過去になるのはいつだろうか。ご想像通り、E2もしくはE3の時点だ。つまり、

あることE1を過去としてとらえることは、ある別のことE2を現在としてとらえることと表裏一体となっている…〈P160〉

「それはまあそうだろうけど…」と、あまりピンとこないかもしれない。そもそも「E1を過去としてとらえる」とか「E2を現在としてとらえる」とはどういうことなのだろう。それはズバリ、言葉を通して理解するということだ。

私たちは自分の経験したことを、言葉を通して想起する。ある日ベートーベンのコンサートに行ったという体験はその一度きりで消えてしまうが、その体験を言葉にすることで、いつでも想い起こすことができるようになるのだ。しかし、そこで再現されるのは、(当然のことながら)コンサートの体験そのものではない。つまり、「私の過去」とは、直接的な体験をとっかかりに、あたかも「そのようなものとして」、現在の私が、言葉によって「制作」したものだというのだ。であるからこそ、

過去はどこへ「行った」のでもない。「もはやない」ものとして〈今ここ〉にある。 〈P164〉

本書の考察はこの後、未来、そして現在へと続くが、その「正体」はぜひ、ご自身の目と頭で突き止めてほしい。

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