私の時間デザイン

#20

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書家 前田鎌利氏 念いを刻み、次世代につなげる。
書家の時間デザイン

デジタルデバイスの普及により、筆記具を使って「書く」という機会が失われつつある。しかし、書家の前田鎌利氏は、デバイスがどう変化しようが、人間が持っている「念い(おもい)」を伝えるという行為は不変だと訴える。日本だけでなく、世界各地で、さまざまな念いを書に刻み続ける、氏の時間デザインとは。

前田鎌利(まえだ・かまり)

書家/プレゼンテーションクリエイター
一般社団法人 継未-TUGUMI- 代表理事
1973年福井県出身。5歳より書を始める。2010年ソフトバンク孫正義氏の後継者育成機関であるソフトバンクアカデミア第1期生として選考され、孫正義氏の資料作成などにも携わる。2013年ソフトバンクを退社し、未来へ日本の文化を継承していく書道塾・継未-TUGUMI-を経営。書家としてJリーグ「絶対突破」、JAXA「こうのとり」、彦根市「国宝 彦根城」をはじめとして多くの書を揮毫。パッケージ、ロゴのデザインやライブパフォーマンスなどを国内外で精力的に展開。

聞き手:日本能率協会マネジメントセンター 代表取締役 張士洛




書は「刻む」もの

 張:前田さんは、書道という芸術を追求しておられるわけですが、まずは書道の歴史的な背景や、現代の日本人の心にどう生き続けているのかといったあたりからお聞かせいただけますか。

前田:書道は、漢字の故郷である中国で発展したものですが、歴史的には、書聖と呼ばれる王羲之(※)の書が最もよく知られています。たとえば「蘭亭序」は西暦353年頃に書かれたものですが、その内容は「曲水の宴」という、盃を流しながら歌を詠むというイベントの序文で、そこには「戦乱の世の中にも平和で楽しいひとときがあった」ということを後世に伝えたいという「念い」が込められています。

 張:日本の書にはどのようなものがありますか。

前田:日本にも有名な書はたくさんありますが、古いものだと9世紀に、空海が最澄に宛てて書いた書簡「風信帖(ふうしんじょう)」が有名です。空海と最澄といえばこの時代のお坊さんの2大スターです。2人とも中国に渡って仏教を学び、帰国後、お互いに学んだことを生かして日本を良くしていこうという念いが込められています。
この書の「風」という文字をよく見ると、さっきお話した「蘭亭序」に出てくる「風」とそっくりなんです。空海も王羲之の書から学んでいるんですね。

 張:王羲之は時を超えたお手本ということですね。そして、それらの書には平和な時間を過ごしたい、あるいは国を良くしたいという「念い」が込められていると。

前田:書家の井上有一(※)という人に東京大空襲をテーマとした「噫横川国民学校」という作品があるのですが、これは戦時中、目黒の横川国民学校で書道の先生をされていた井上さんが、教え子たちを空襲で死なせてしまった体験がベースとなっています。激しく塗りつぶすような筆づかいで空襲の恐ろしさ、悲惨さが表現されています。有名なピカソのゲルニカも、スペイン内戦の空爆で多くの人が亡くなったという悲惨な体験がベースとなっていますが、書と絵画という表現方法の違いこそあれ、戦争の悲惨さを世に訴えるという点は同じだということがわかります。時代が変わっても、表現方法が違っても、根底には伝えたい「念い」が込められている。これは書を含めたアート全般に言えることでしょう。

 張:書道だからこそ込められる念いというのはあるのでしょうか。

前田:漢字の起源は、中国古代の甲骨文字ですが、これも、もともとは占い・祈祷という当時の人々の念いを亀の甲羅などに彫り刻んだものです。だから僕は、「書道は念いを刻むもの」という言い方をよくするんです。

 張:念いを刻む。とてもいい表現ですね。私たちも、紙に手で書くということをずっと大切にしていきたいと思っています。例えば謝罪文を書くにしても、パソコンで書いたものと手で書いたものでは、たとえ内容は同じであっても、伝わり方はぜんぜん違いますよね。

前田:おっしゃる通りです。書道の場合まずは墨をする必要がありますし、筆を使ったら洗わないといけない。すごく面倒くさいんです。でも、私はその面倒くささを大切にしたい。墨をする時間が念いを深めていくということもありますので、それは決して無駄な時間ではありません。
最近は、筆ペンでさえ使う機会は限られているし、ましてや墨や硯を家に置いている人はかなり少ないと思います。そのくらい書道は日常文化からは外れてしまっている。だからこそ、書くという行為をいかに日常文化に残していくか。これが僕たち書家の活動の基本だと思っています。

 張:実は私たちも「手で書く」ことの意義について、NTTデータ経営研究所と一緒に脳科学的なアプローチから研究しています。今の時代、科学的な裏付けがないと社会的に認知されにくいので、あえて科学的に検証していこうという取り組みを始めています。

前田:それはいいですね。機会があったらぜひ見学させていただきたいです。

※1 王羲之(おうぎし、303~361年)
中国・東晋時代の政治家・書家。書聖と称され、後世の書家に絶大な影響を及ぼした。

※2 井上有一(いのうえ ゆういち、1916~1985年)
従来の「書」の概念を塗り替え、前衛的な作品を生み出した書家。




上手い下手より大事なこと

 張:先ほどピカソのお話が出ましたが、絵画や写真とは異なる「書」ならではの特徴には何があると思われますか。

前田:脳科学的に右脳は視覚的なものを捉え、左脳は言語的なものを捉えるといわれています。絵画や写真の場合は基本的に右脳を刺激してインスピレーションを喚起したり、受け手の想像力を働かせたりするのですが、書は言葉として読ませる左脳的な要素に加えて、白と黒の濃淡によるデザインとして右脳でも捉えられる。そのように、左右両方の脳に働きかけられることが書の強みではないでしょうか。

 張:右脳と左脳の両方を働かせて鑑賞できるということですね。ところで、書道の他にも華道や茶道、武道など「道」がつくものはいくつかありますが、これらに共通していることは何でしょうか。

前田:「道」とは、何かを極めようとして努力を積み重ねていくのだけど決して極めることはできない、というものではないでしょうか。私も毎日どれだけ書いても、決して終わりはないと感じています。

 張:たしかに「道」には終わりがありませんね。

前田:書道の場合、展覧会で賞を取ることによって世間的な評価を得るという道と、とにかく自分の表現を極めていくという道があるように思います。私はどちらかというと後者で、自分自身が表現したいことを突きつめていくタイプです。

 張:そのために普段から心掛けていることはありますか。

前田:書道だけではなく、絵画でもポップアートでも、なるべく幅広い芸術作品に触れるようにしています。ただ見るのではなく、その作品にはどんな念いや問題意識が表現されているのかを考えながら鑑賞する。展覧会の会場や博物館には、よく作家のバイオグラフィーが出ていますが、そういうものもとても参考になります。この人が自分と同じ年のときに何を考えてどんな作品をつくっていたのか。その後、どんな経験をしてどんな作風に変わっていったのか。そういったことを知ることが、すごく刺激になります。

 張:展覧会なんかに行くと、素人目には「え、なんでこの書が?」というものが評価を受けていることがありますが、書の上手い・下手というのはどのように決まるのでしょうか。

前田:書の上手い下手というのは、なかなか難しいテーマです。絵画でいうと、たとえばゴッホやモネの絵といえば、頭の中でなんとなくイメージできますよね。でも書の場合、王羲之だとか欧陽詢(おうようじゅん)だとかいっても、どんな書なのかイメージできる人は少ないでしょう。これは、普段から目にしている文字のサンプルが少ないからです。普段、僕たちは本や新聞、教科書、パソコンの画面などの書体を目にしますが、そのバリエーションは絵画と比べものになりません。

 張:たしかに、大きくは明朝体かゴシック体かで、そんなにたくさんは思い浮かばないですね。

前田:サンプルが少ないから、自分の文字感覚から逸脱したものを見ても判断できなかったり、下手だと決めつけてしまったりするのだと思います。でも、上手いか下手かというよりも、好きか嫌いかであれば、誰でも言えますよね。ゴッホは好きだけれどもゴーギャンはちょっとね、とか。
だから、僕の場合、なるべく多くの作品を見て、サンプルをたくさんストックしたうえで、「なぜそれが好きなのか」という理由を話すようにしています。そうすると僕に習っている子どもたちは、先生はこの線が好きなんだな、と理解できる。そして、この線を書くためにはどんな筆を使って、どういう風に書けばいいんだろうと想像が広がっていく。そういうふうにして、自分ならではの文字造詣を少しずつ深めていってほしいのです。

 張:上手い下手より、好き嫌いを基準にして、自分ならではの文字を見つけていってほしいというわけですね。
書道は「線の芸術」ともいわれるように、ただ一度の筆の運びで完結させる、といったところにも魅力を感じます。やり直しのきかない緊張感が伝わってくるというか。

前田:でも実は、王羲之の「蘭亭序」には、書き損じて塗りつぶしているところがあるんです。世界一有名な書が、実は書き直している。だからうちの生徒さんには、好きなだけ二度書きしていいよと言っています(笑)。
それと、僕は書き順も無視していいと思っています。書き順というのは、効率よく文字を学ばせるために決めたものであって、もともと漢字に書き順があったかどうかは疑わしい。それより、念いを伝えるということにウエイトを置いて書くべきです。
以前、JAXAの「こうのとり」という宇宙ステーション補給機の題字を書かせていただいたのですが、無事に打ち上がってほしいという念いから、さいごの「り」の部分は、下から上へ向けて書き上げました。そういう思いを込めて書くことの方が、書き順どおりに書くことより大切ではないかと思っています。




思いを未来へ

 張:前田さんはライブパフォーマンスにも力を入れておられますよね。

前田:先日もイギリスのウエールズ地方にあるカーディフという町のナショナルミュージアムに招致され、そこで開催されたイベントで、「絆」というテーマで書いてきました。長さが10メートルほどもある大きな長い紙を使って、200人くらいのオーディエンスを前に書きました。


「絆」と書いて最後に落款を入れたのですが、そのあと、周りにいるオーディエンスの皆さんにも、大きな紙の余白に自分の念いなどを、どんどん書いていってもらったのです。この作品はミュージアムに寄贈しましたので、この先何世紀も残っていくものです。僕の念いと、オーディエンスの方たちの念いが刻まれていく。それが後世に、時をまたいで未来に伝えられていく。こういう活動を続けていくことが僕たちの使命だと思っています。

 張:こういうパフォーマンスは、海外では興味を持たれる人が多いのではないですか。

前田:そうですね。書道を通じて日本のことに興味を持ってくれるし、好きになってくれる。好きになってくれると、けんかをしようとは思わなくなりますよね。もっといえば戦争をしようとは思わない。アートをやる人は皆、世の中が平和であってほしいと願っています。
仮に僕が生きているうちに戦争がなくならなくても、別の人が同じようなことを続けていって200年、300年と経てば、いつか戦争がなくなるかもしれない。こういうパフォーマンスは、海外でやると、上手いも下手も、国籍や言語や宗教の違いも関係ありません。ただ「アメージング!」ですよ(笑)。
この「絆」という作品はミュージアムから招致されて書いたものですが、招致されなくても、いろんな国の街中でゲリラ的に書いています。2015年から始めて、ニューヨーク、スイス、イタリア、中国、台湾、韓国、シンガポールなど、洋の東西を問わずに書いてきました。

 張:最近行かれたところで印象に残っている場所はありますか。

前田:最近だと、経度0度0分0秒の子午線上に位置するイギリスのグリニッジ天文台で書いたことですね。グリニッジ天文台は世界遺産に登録されていることもあって、パフォーマンスを事前に交渉しても断られると聞いていました。なので、行ったその場で「子午線上で書かせてくれ」と交渉したら、すんなりOKしてくれたのです。実際にやってみたら、大ウケでした。

 張:世界の時を刻むグリニッジ子午線上で、書を刻んだわけですね。




伝えるアート

 張:そのように人が見ている前で書くときには、どのようなことを意識されていますか。

前田:実際に見ていただいている方とコミュニケーションをとりながら、距離感をどう縮めていくかですね。そのためには、書いているところをただ見てもらうだけでなく、音楽とのコラボレーションが有効だと考えています。和楽器、ジャズ、ロック、いろんなジャンルの方々と共演していますが、大事なのはいかに五感を刺激して、書くという行為を楽しんでもらえるか。楽しい時間を過ごしてもらえるかです。

 張:上演時間は長いものだとどのくらいになるのですか。

前田:先日スイスで般若心経を書いたときは、40分ほどかかりましたね。その間は、尺八、ギター、ソプラノ歌手などの演奏やダンスを交えて演出しました。パフォーマンスが終わった後、10歳くらいの女の子が寄ってきて「アメージング!」と言ってくれて。それはそれですごく嬉しかったのですが、その夜、その子のお母さんからメールをいただいたんです。「うちの子が今日、ごはんも食べずに部屋に閉じこもってこんなものを書いていたんです」と。
今度は僕の方が、「アメージング!」です。僕が書いた般若心経とは違って色もついているし、厳密にいうと文字といえるものではないのですが、彼女は僕のパフォーマンスを見てインスパイアされてこれを書いた。国も人種もまたいで「書く」という行為が伝わった瞬間でした。

 張:単なるパフォーマンスではなくて、見た人がいろんなことを感じてインスパイアされる。演じ手も受け手も楽しめるということが重要なんですね。
そうしたパフォーマンスは、前田さんのもう一つのご専門であるプレゼンテーションにもつながるように思います。念いを伝えるという点では、プレゼンも書道に通じるところがありそうですね。

前田:おっしゃる通りです。僕は5歳の頃から書道をやっていて、大学でも専攻していたので、毛筆で書くということが自分の表現方法の主軸になっていて、それが伝える手段としても定着しています。その点、一般のビジネスパーソンの場合は、これといった手段がないのが普通だと思います。そうした中で、プレゼンは社内外で伝える・提案するという有効な手段のひとつだと言えます。

 張:ビジネスで必要なことを表現する手段ということですね。

前田:僕は、書もプレゼンも、共にアートだと思っています。例えば、パワーポイントでスライドをつくるときは、真ん中より少し上に文字を置きますが、書でも、お寺などにある横長の扁額に書いてあるような文字は、たいてい上の余白のほうが少し狭くなっているのです。これは、書道では何百年も前からある常識で、見ている人を意識して圧迫感がないように工夫しているのです。プレゼンターも同じで、だれに向けて、どこを見てもらいたいのか。見る人を意識することから始まるのです。

 張:プレゼンをアートだと考えるのは面白いですね。プレゼンでも書道でも、失敗することを恐れてうまくいかないということがあるように思うのですが、失敗しないようにするにはどうすればいいですか。

前田:僕自身、失敗はよくありますよ。スイスで書いた般若心経は、実は1文字抜けていました(笑)。ただ、失敗もそのときの作品、アートだと考えてみてはどうでしょうか。
例えば、あるベンチャー企業の依頼で「歩」という字を書かせていただいたのですが、「歩」という字の上の部分を「止」ではなく「上」にしたんです。書道では欠け字というのですが、文字としては「失敗」ですよね。でも僕はそうすることで、「歩みを止めない」という思いを込めたんです。そういう風にして、僕らはもっと自由に文字に意味を持たせていいし、新しいものをどんどんつくっていくべきだと思います。

 張:伝えるアートとして、書の可能性は無限ということですね。これからのご活躍も期待しております。本日はお忙しい中ありがとうございました。