生命の目盛り

#13

メインビジュアル

生まれ年の時計を買って思ったこと

機械式時計はクォーツ時計ほど正確ではないが、いくつかメリットがある。その最たるものが“長持ちする”だろう。もちろん修理可能なクォーツ時計もあるが、機械式時計に比べるとずっと少ない。よほど出来が悪いものを買わない限り、機械式時計は直しながら数十年使うことができるわけで、だから今なお売れ続けている。

修理可能な機械式時計は、製造中止になっても数多く残っている。そして、その中には、製造年まで分かるものが少なくない。例えば、昔のセイコーやロレックス、オメガ、IWCなどだ。それ以上のハイブランドになると、いちいちメーカーに依頼する必要はあるものの、何年何月何日に製造されたかまで分かる。

筆者が生まれたのは、1974年の2月である。なんとなく、この年月に製造された時計を探そうと思った。オークションサイトを回ったところ、昔のキングセイコーがあった。裏蓋の刻印を見るに、74年2月製である。お金を振り込んで数日、手元にその時計が届いた。

生まれた年の時計を買うというのはなんだかセンチメンタルで、昔は好きになれなかった。しかし、年を取ったのか、ありだと思えるようになった。自分と同じ年月に生まれた時計が生き延び、たまたま自分の手元にある。生き別れた双子に会ったようだ、とは大げさだが、手元で鈍く光る時計を見るに、お互いよく生き延びたな、という気持ちになる。

以降、暇を見つけては、自分の生まれ年のものを探すようになった。なかなかあるものではないが、唯一、ペンだけは、こまめに探すと1974年製のものがあった。銀無垢のペンならば、ホールマークを見れば製造年は分かるし、保証書付きならば、いつ売られたかまでわかる。たまたまイギリスのショップに、1974年の2月に売られたパーカーの万年筆があり、お金を振り込んだ。まだ手元に届いていないが、自分と同じ年のペンを使うと、きっと不思議な気分になるのではないか。

21世紀に生きる人間として、デジタルと、それを提供するデジタルデバイスには感謝している。しかし、いくらデジタルデバイスと深い関係を結んでも、残念ながら、数年後には役立たずになってしまう。対して、アナログな機械式時計やペンは、デジタルデバイスのように様々なことができるわけではないが、手入れを欠かさなければ、それこそ一生使えるはずだ。生まれた年の時計やペンを買ってみて、筆者は改めてそのことに気づかされた。

たまたま、同僚に子供が生まれた。会社では、誕生祝に何を送ろうか、という話になっている。筆者は、生まれた子供に、機械式時計かペンを贈ろうと思っている。彼が成長する中で、おそらく様々なものに出会っていくだろう。しかし、一生涯、変わらず付き合っていけるものはそうそうない。もし彼が、長じてなお、生まれた時に贈られた時計やペンを愛用しているならば、実に愉快ではないか。長持ちするモノはモノにあらず。やがてその人にとって、思い出のゆりかごとなるに違いない。

イメージ

広田雅将(ひろた・まさゆき)
時計専門誌『クロノス日本版』編集長。1974年大阪府生まれ。サラリーマンを経て2004年からフリーのジャーナリストとして活動。2016年から現職。朝日新聞&、GQ JAPANなどに連載多数。

関連タグ

この記事をシェア

  • tweetする
  • シェア
INDEX