生命の目盛り

#12

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時は流れるものか刻むものか

人と話していると、時に対する考え方がふたつあることに気づかされる。ある人は、時は流れるものと考え、ある人は、時は刻むものと考える。考え方の違いは、面白いことに時計そのものにも現れている。ゼンマイで動く機械式と、電池で動くクォーツ。両者の違いは、秒針の動きを見れば明らかだ。ほとんどの機械式時計は、秒針が流れるように動いていく。対してほとんどのクォーツ時計は、秒針が1秒ごとに動く。時が流れる、を体現する前者に対して、後者が示すのは時は刻むという概念だ。

ちなみに18世紀半ばには、秒針が1秒ごとに動く機械式時計、「マリンクロノメーター」があった。高い精度を与えるため、これらの時計はデテント脱進機というメカニズムを載せ、それは副産物として、秒針に1秒ごとの動きをもたらした。機械式時計といえば流れるように針が進むという常識を、デテント脱進機を載せたマリンクロノメーターは否定したのである。驚くような正確さをもって、である。

以降も、いくつかのメーカーが、1秒ごとに秒針が動く機械式時計を製作した。つまり、数こそ多くなかったが、1秒ごとに針が動くことを好む人たちが存在したというわけだ。あえて、流れるような秒針の動きを選ばなかった彼らは、1秒単位の正確さを求める仕事に従事していたか、あるいは、時は流れるのではなく刻むもの、と信じる人たちではなかったか。事実、こういった、1秒ごとに秒針が動く機械式時計のいくつかは、医師や軍人向けに製造されたと言われている。

1960年代後半、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が電池で動くクォーツ時計の開発に取り組んだ。彼らはさまざまなタイプのクォーツを作ったが、最終的に落ち着いたのは、1秒ごとに秒針が動くタイプのものだった。技術的に見ると、秒針に流れるような動きを与えることは難しくなかった。しかし、諏訪精工舎の技術者たちは、あえて、1秒ごとに動く秒針を選んだ。理由のひとつは、1秒ごとに動かした方が、電池の持ちは良くなるためだである。加えて彼らは、機械式時計とは違うことを強調するため、刻むような秒針の動きを選んだのである。おそらく彼らは、驚くような正確さを持っていた、かつてのマリンクロノメーターをイメージしていたに違いない。

諏訪精工舎が普及させた、1秒ごとに時を刻むクォーツ時計は、やがて、世界中に正確な時をもたらすようになった。秒針の動きだけを見れば、時は流れるものから、刻むものへと大きく変わったわけだ。もちろん、人類が正確な時間を得られるようになったことは喜ばしい。しかし、個人的には、時が流れるから、刻む一辺倒に変わったのは、残念にも思う。もう少し、時には多様性があって良いのではないか。

と考えると、一部の人たちが、クォーツよりも機械式時計に目を向けるようになったのも、分からなくはない。機械式時計はクォーツよりも正確ではない。しかし、その流れるような秒針の動きは、私たちに、かつて時は流れるものであったことを思い起こさせてくれる。少し大げさになるが、ひとつ提案をしたい。もしあなたが、日々の人生に疲れたなら、流れるような秒針の動きを持つ時計を手にすることをお勧めしたい。時は刻むだけでなく、流れるものでもある。そう実感できるならば、もう少し肩の力を抜いて、日々の生活を楽しめるのではないか。

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広田雅将(ひろた・まさゆき)
時計専門誌『クロノス日本版』編集長。1974年大阪府生まれ。サラリーマンを経て2004年からフリーのジャーナリストとして活動。2016年から現職。朝日新聞&、GQ JAPANなどに連載多数。

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