生命の目盛り

#11

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ひとはいつ、正確な時間を得るようになったのか

昔の人たちは正確な時間を知らなかった、と私たちは考える。しかし本当にそうだろうか。人の集まるところ、正確な時間が必要となり、そのため人々は、正しい時間を知ろうと努めた。

一例が、ローマである。共和制ローマの末期から初期にかけて、ローマの人々は携帯用の水時計を好んで使っていた。もっともこれは、時計ではなく、時間の経過を測るためのタイマーだった。例えば、かのユリウス・カエサル。彼は戦争の経過時間を、水時計で測っていた。当時の著名な弁護士であるキケロも、やはり法廷で水時計を用いていたらしい。それがどのような物かは伝わっていないが、原型となったギリシャの水時計を見る限り、決して大きな物ではなかった、と想像できる。

一日の時間を知るために用いられたのが日時計である。古代バビロニアで使われていた日時計は、やがてギリシャに伝わり、さらなる改良が施された。ローマ人はこの日時計を大変に好み、例えば皇帝となったアウグストゥスは、ティベル川沿いに、巨大な日時計を建設した。

ローマの滅亡に伴い、日時計の文化はヨーロッパではほぼ絶えたが、イスラム圏には残った。そしてルネッサンス期にイスラム文化圏とヨーロッパの交流が起こると、日時計は逆輸入という形でイタリアに流入するようになった。幸いにも当時のイタリアには優れた職人が多くおり、彼らは日時計を小型化し、携帯式の日時計を製作するようになった。おそらくこれが、世界で始めての携帯式時計だろう。少なくとも17世紀の初頭までには、日時計はほぼ完全なものとなった。

しかし影の位置で時間を計る日時計は、曇りの日には使えない。そこでドイツの時計師たちは、機械で動く小さな時計を作ろうと考えた。世界初の機械式クロックではなくウォッチがいつできたのかは諸説ある。しかし少なくとも15世紀には存在していた。もっとも当時の携帯式のウォッチは極めて高価な上、日時計以上に当てにならなかった。16世紀の王侯貴族はウォッチを大変好んだが、実用品と言うよりも、むしろオモチャとしてだった。庶民は相変わらず、街にあるクロックで一日の時間を知り、遠出するときは携帯式の日時計を使った。ちなみに、クロックに分針が付いたのは、1680年頃と言われている。つまりその時代まで、人は分単位での生活をしていなかったわけだ。

皆が正確な時間を"携帯"するようになったのは、19世紀以降のことだ。鉄道が普及し、時刻表に従って運用されるようになると、人は時間通りに動かねばならなくなったのである。街にいる限り、クロックを見れば時間はわかる。しかし、外出するなら、時間は自分で管理する必要がある。そのため、1本針だった懐中時計には分針が付き、やがて秒針も付くようになった。時計の進化に伴い、19世紀以降、人は秒単位で動くようになったのである。長時間労働が問題になったのも、皮肉なことに、時計が進化すればこそだった。

電波時計が普及するようになった今、無理に正確な時間を知る必要はない。しかし、人の欲望は、今な時計を深化させようとしている。現在もっとも正確とされているのが、原子や分子の周波数で時間をコントロールする「原子時計」だ。極めて大きく高価な物だが、最近いくつかのメーカーは、持ち運びできる原子時計を作ろうとしている。時計の歴史を考えれば、やがて原子時計は腕時計のサイズにまで小さくなるはずで、そうなったら、私たちの生活はどう変わっていくのだろうか?

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広田雅将(ひろた・まさゆき)
時計専門誌『クロノス日本版』編集長。1974年大阪府生まれ。サラリーマンを経て2004年からフリーのジャーナリストとして活動。2016年から現職。朝日新聞&、GQ JAPANなどに連載多数。

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