生命の目盛り

#09

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時計と記憶を重ねる人たち

筆者は時計を生業にしていて、毎日のように様々な時計を見る。もちろん時計に対する愛情は人並み以上にあるし“記録”もするが、個々の時計に対して“記憶”があるかというと、時々疑わしくも思う。あまりにも多くの時計が、目の前を通り過ぎてしまうのだ。SNSで知った情報が、数日後、頭の中に留まっていないように、である。

というわけで、しばしば時計好きに会って、彼ら彼女らから、持っている時計とその思い出を聞くことにしている。持っている時計も様々だし、関わり方も人それぞれだが、共通するのは時計との濃密な時間だ。彼らは自分の思い出を、持っている時計を通して見つめている。話を聞くたび、時計とはそういう物ではなかったか、と筆者は自省する。

某所に住む時計コレクターは、一度記事で取り上げたことがある。すごい時計を持っているわけではないが、彼の波瀾万丈の人生は、常に時計と共にあった。その証拠に、あの時計は何年何月に買った、この時計はいつ手に入れた、という話がすぐ出てくるのだ。卓上に並んだ時計を見ながら話を聞くと、赤の他人であるはずの筆者でさえも、彼がどういう人生を歩んだのかを、鮮やかに思い浮かべることができる。

別のコレクターは、妻との“面白い”エピソードを語ってくれた。彼は愛用する時計を、たまたま妻に燃やされたそうだ。火に焼けて動かなくなった時計を、しかし彼は直そうとしない。彼の収入ならば、直すのは容易なはずだ。しかしそうしない理由は、妻との思い出として、そのまま残しておきたいからではないか。「時計を妻に燃やされまして」と苦笑する彼から見えるのは、妻に対する深い愛情である。彼の時計は、道具としての役割を果たさなくなっても、思い出の“依り代”として残り続ける。

ある高名なビジネスマンは、父からもらった時計を毎日腕に巻いている。功成り名を遂げた彼ならば、高価な時計を買うのは問題ないはずだ。しかし彼はいつも、おおよそ似つかわしくないチープな時計を使っている。理由は「父との思い出だから」。父を越える日が来たら、彼は自分の1本を選ぶつもりらしい。高価な時計を見て、いいなあ買いたいなあとつぶやく彼だが、ひょっとして、一生時計を買わないのかもしれない。それもまた、面白い。

私たちは毎日、様々な物や情報、コトや人に囲まれて生きている。もちろんそれは素晴らしいことだが、彼ら彼女らを見ると、時々立ち止まった方がいいのではないか、と感じる。慌ただしい毎日でも少し足を止め、自分が関わっている様々な事柄を、単なる記録ではなく、記憶するようにも心がけてみる。それで人生が変わるわけではない。しかし、時計と共に思い出を語る人たちを見ると、記憶するという作業は、間違いなく、人生を豊かにしてくれるのではないか。

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広田雅将(ひろた・まさゆき)
時計専門誌『クロノス日本版』編集長。1974年大阪府生まれ。サラリーマンを経て2004年からフリーのジャーナリストとして活動。2016年から現職。朝日新聞&、GQ JAPANなどに連載多数。

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