未来百景

#05

君の名は。

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「昔々、あるところに銀河を旅する彗星がありました。彗星は地球の上空で離ればなれになると、片割れを地上に落として宇宙の彼方へと飛び去っていきました。その姿はまるで星回りの悪い恋人たちのようでした」

フランスの哲学者ミシェル・フーコーによれば、かつて、人間の営みと星辰の運行を「類似」に基づいて理解する時代があった。「血管に脈の搏(う)つさまは、さながら星がそれぞれの軌道をめぐるのに似ており、その顔の七つの穴は、天なる七つの惑星と同じ相をなして」いて、「人間はこれらすべての関係を地上に落下させる」 。近代諸科学が確立され、そうした世界観が斥けられた今なお、我々はこの「類似」の思考を完全に手放してはいない。映画『君の名は。』(新海誠監督、2016年)は、我々が彼らの末裔であることを改めて教えてくれるだろう。

劇中に登場する組紐は、単に小道具の一つとして用いられるのみならず、映画の世界観の中心をなす重要なイメージを提供している。祖母の台詞にあるように、組紐を構成する糸と糸の絡まりあいは、人と人の出会いと別れをあらわし、さらにその形状は長く尾を引きながら天上を駆けるティアマト彗星の姿と結びつく。あたかも地上に落とした片割れに会いにくるかのように振る舞う彗星は、薄幸な恋人たちというイメージを喚起する。そこに時間の観念が織り込まれ、組紐は複雑に入り組んだ本作の時間の流れそのものを体現する。

新海監督はこの時間にある魔法をかけた。物語の後半で明かされるその魔法に、多くの観客は驚きを禁じえなかったことだろう。1200年かけて宇宙を一回りするティアマト彗星にとって、それは魔法と呼ぶにはあまりにささやかな、誤差のようなものかもしれない。だが、我々人間にとっては決定的な意味を持つものだ。


2011年3月11日、あの巨大地震が引き起こした大津波は東北地方の沿岸部に未曾有の被害をもたらし、いくつもの町や村を壊滅させた。もしも地震の発生前に、それを知る人間がこの世界の片隅にでも紛れ込むことができていたならば……。その祈りにも似た思いとSF的想像力の結託こそが、本作をポスト震災映画たらしめている最大の要因である。

映画の終盤、瀧は洞窟内の壁に彗星の絵が描かれているのを発見する。ラスコーやアルタミラの洞窟壁画を思わせるそれは、人類が行った最古の祈りと祝祭の記憶を想起させる(隕石が落下した日、折しも糸守町では秋祭りが行われていた)。あるいは、哲学史的にも、洞窟はプラトンがイデアの影を見出した場所である(瀧はそこで世界の真実に触れるようなヴィジョンを目撃し、すべてを理解する)。神話の世界から連綿と受け継がれてきた人間の営為を、見事なアニメーション作品へと昇華させたところに本作の真価はある。

「禍福は糾える縄のごとし」の言葉通り、災いと幸せを縒り合わせて複雑な文様を描き出し、ときに時間を巻き戻しながらも、継起的に推移する一つの物語を織りなす本作『君の名は。』の祈りが、国境を越えて広く現代人の心を捉えたのは必定だったと言えるだろう。




ミシェル・フーコー『言葉と物』、渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、1974年、47頁
伊藤弘了(いとう・ひろのり)
映画研究者=批評家。1988年愛知県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。

【『ヱクリヲ』とは】
エクリヲ 批評家・佐々木敦の主宰する「映画美学校 批評家養成ギブス第三期」のメンバーを中心として、2014年11月に結成。映画・音楽・文学・美術といった領野を貫通する批評活動を展開している。現在は「ゲンロン 批評再生塾」や全国の若手研究者とも協働し、おもに20代の書き手を中心に雑誌やweb上で活動している。今年の5月には最新号『ヱクリヲ6』(「ジャームッシュ、映画の奏でる音楽」「デザインが思考する/デザインを思考する」特集)を上梓、全国書店やディスクユニオン等で発売中。

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