ヒトは何をどう成し遂げてきたのか

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道具の歴史

神が土をこねてつくったという説を一度カッコに入れさせてもらえれば、人類の起源は割とはっきりしている。ナックルウォークと呼ばれる四足歩行から直立二足歩行になったとき、私たちの祖先はサルと別の道を歩きはじめた。自由なった「前足」でかヒトが生み出したもの、それが道具である。人類に今日の繁栄をもたらした道具の歴史をさぐってみよう。

オノ

あたりをちょっと見渡してみてほしい。あなたのまわりには、いま、いくつの道具が見えるだろうか。スマホ、パソコン、ボールペン、時計、コーヒーカップ、デスク、イス……。これらをすべて「道具」だとするなら、共通点は「目的がある」ということだ。イスに座るという、カップにはコーヒーを入れるという、ペンには書くという、スマホにはゲームをするという目的がある。では、人類が最初につくった道具の目的は? もちろん命を長らえること、具体的には敵から身を守ることと獲物を捕らえることだ。

東アフリカにあるオルドヴォイ遺跡では、約200万年前の地層から猿人の化石ととともに、人類初期の「オノ」が多数見つかっている。専門家でなければ石ころにしか見えないこの道具は、彼らの握り拳とは比べものにならないほどの打撃を相手に与えることができた。打ち欠いてできた鋭い縁は、爪や歯よりもはるかに効率的に獣の皮をはぎ、その肉を割いたことだろう。それは拳よりも強力な「拳」であり、爪よりも鋭利な「爪」だった。人類が最初に手にした道具は、このように、自らの体の延長だということができる。

機械

18世紀のイギリスから始まった産業革命は、農業・工業の生産力を飛躍的に増大させ、社会の構造や人々の生活様式を大きく転換した。この産業革命を惹き起こした数々の発明品のなかでも、決定的な役割を果たしたのが蒸気機関だ。蒸気の熱エネルギーをピストンやタービンの運動エネルギーへと変換する蒸気機関は、1712年、イギリスの発明家トマス・ニューコメンによって初めて実用化された。当初は炭鉱の流出水を排水するポンプを起動させるためのものだったが、ジェームス・ワットによる改良を経て、紡績や繊維をはじめ、広く一般の工場でも用いられるようになった。

その後、イングランドの技術者ジョージ・スチーブンソンの技術革新によって鉄道に採用されると、1825年のストックトン・ダーリントン間を皮切りとして、蒸気機関車による貨物や旅客の輸送が一般のものとなっていった。航路では、風や潮の影響を受けることのない蒸気船の登場によって、アメリカ大陸をはじめとした各地への航行の定期化と、貨物量の飛躍的な増加が実現した。

産業革命は世の中を「機械化」した。職人の技術を要する手工業は工場による大量生産へ、馬や風による牧歌的な移動は黒煙をあげて疾走する蒸気機関へと変わっていった。原初の道具が「体の延長」だとするなら、産業革命は道具を体から切り離し、それ自体を「体」に仕立てた。人間が逆立ちしてもかなわない、圧倒的な力を誇る「体」に。

計算機

史上初のデジタル計算機は、ドイツのヴィルヘルム・シッカルトによって1623年に制作された。タイプライターより少し大きいこの計算機は6桁の足し算・引き算を自動的に行えるほか、掛け算・割り算も部分的にできる優れものだった。この画期的な道具は当時、「計算する時計」と呼ばれていたらしい(もちろん時間はわからない)。この奇妙な名前は、時計産業が盛んだったこの時代、歯車を使った精巧な機械といえば時計だと思い込んだ人々によってつけられたと考えられる。

「世界最初のパソコン」には諸説あるが、「Altair(アルテア)8800」はその有力な候補のひとつだ。アメリカニューメキシコ州アルバカーキにあるMITS社のエド・ロバーツによって1974年に開発された。この「Altair8800」を雑誌で見てビジネスを思いついたのが、スティーブ・ジョブスである。ジョブスはさっそく友人のスティーブ・ウォズニアックに新しいマイクロ・コンピュータ開発の話を持ちかけ、1976年に「Apple1(アップル・ワン)」を販売した。この「Apple1」は資金的な理由でわずか200台しか生産されなかったが、翌1977年の「Apple2(アップル・ツー)」は、2台のフロッピーディスクドライブが装備されていたことなどを理由に大ヒットし、1993年の生産中止までに全世界で500万台以上を売り上げた。こうして人類は「体」に続き、「脳」を外部化することに成功したのである。

人工知能

将棋と囲碁の世界における人間と人工知能のたたかいは、どうやら後者の勝利で幕を閉じそうだ。特に、まだ時間がかかると思われていた囲碁での「勝利」の衝撃は記憶に新しい。機械学習やディープラーニングといった言葉を目にするたび、「かれら」がいまこの瞬間も進化し続けていることを想起して、期待とともに不安を覚える人も多いことだろう。人工知能はいつか人間を征服するのではないか、と。

ターミネーターのような未来が現実のものになるかどうかは、人工知能が「意思」をもつかどうかにかかっている。将棋にしても囲碁にしても、人工知能が自発的にたたかったことは今のところ一度もない。「かれら」はルールを教えられ、膨大な時間を学習に費やし、どうすれば勝てるかを研究し続けた。しかしその過程で「勝ちたい」という気持ちが芽生えたことは、ついに一度もなかったのだ。

人工知能が意思を持つようになることは、現段階では考えにくい。人工知能は生き物ではないからだ。つまり、(ダーウィンに従えば)自分自身を保存する必要も、子孫を増やす必要もない。しかしいつか、その常識が覆され、「かれら」が何らかの「目的」に目覚めたら……。道具の歴史に加わるのは、自らの体と脳をなおざりにした、私たち人間かもしれない。

参考文献

戸沢充則著
『道具と人類史』新泉社2012年
今村啓爾/泉拓良編
『講座日本の考古学4 縄文時代(下)』青木書店 2014年
長谷川貴彦
『世界史リブレット116 産業革命』山川出版社 2012年
T.S.アシュトン著 中川敬一郎訳
『産業革命』岩波書店 1973年
竹内啓編
『東京大学教養講座11 機械と人間』東京大学出版会 1985年
小田徹著
『コンピュータ開発のはてしない物語 起源から驚きの未来まで』技術評論社 2016年
松尾豊
『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』KADOKAWA 2015年

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