ヒトは何をどう成し遂げてきたのか

#09

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宇宙飛行

幼い頃、宇宙飛行士になりたいという夢を持っていた人は、きっと少なくないだろう。無限に広がる空間、無重力の生活、そして、青く輝く地球の姿。私たちが思い描くそんなイメージの背後には、いったいどんな出来事があったのだろうか。宇宙飛行の歴史を概観してみよう。

古代の宇宙観

「宇宙」という漢語は、東西南北という空間的な広がりを表す「宇」と、太古、現在、未来を含む時間的な広がりを表す「宙」によってできている。順番は逆になるが、今風に言うなら「時空」といった意味だろう。そのことが示す通り、古代中国では、太陽や月をはじめとした星々の運動から、精密な暦をつくることが非常に重要視された。中国には、支配者である皇帝は天の意志を受けて政治を行うという政治思想があり、王朝の交代時には天命を受けた証明として暦が改められたからだ。古代中国の宇宙(=天)には、為政者の権威や権力にお墨付きを与えるという、イデオロギー的な意味合いがあったといえる。

一方、英語やラテン語で宇宙を意味する「cosmos」は、「整列させる、秩序立てる」という意味のギリシア語「cosmeo」に由来する。古代ギリシアの人々は、宇宙は数学的な秩序で支配されていると信じており、「宇宙の形や運動はともに、完全な図形である円や球で表現されるべきだ」と考えていた。ピタゴラス学派のエクバントスは、大地(=地球)も球体であり、恒星の回転は地球の自転による見かけの運動に過ぎないと述べているが、これは観測事実から導かれたというより、「天体の形は最も優美な球体であるべき」という信念の産物だろう。

また、アリスタルコスという人物は日食と月食から太陽・地球・月の関係性を割り出し、宇宙の中心にはいちばん大きな太陽があって、地球はそのまわりを回っていると正しく主張した。しかし当時のギリシア人はこのような論理性が嫌いだったのか、主流になることはなかった。その結果、地動説はコペルニクスに「再発見」されるまで、長い眠りにつくはめとなる。

挑戦のはじまり

宇宙が観測や信仰の対象としてではなく、初めて「目的地」として見られたのは、16世紀の中国である。明の高級官僚だった王冨(ワンフー)は、特別にあつらえた椅子に端然と腰かけ、出発の時を待っていた。椅子の後ろには47機の火薬ロケットが取りつけられ、上からは二つの凧が椅子を引っ張り上げている。苦力(クーリー)と呼ばれる労働者たちがロケットの導火線に火をつけたつぎの瞬間、耳をつんざくような爆音につづいて、モウモウとした煙があたり一面を覆った。ようやく煙が晴れると、王冨の姿はどこにもなく、バラバラになった椅子の破片だけが残されていた。駆け寄った人々は「王冨さんは天国に行ってしまった」とつぶやいたという。

残念なスタートとなった宇宙へのチャレンジだが、そもそも「宇宙飛行」はどうなれば成功なのだろう。国際航空連盟によると、高度100㎞以上を宇宙と呼ぶので、まずはこの高さに達する必要がある。しかし、垂直に高度100㎞に達しただけでは「飛行」とは呼べない。

ところで、翼もエンジンも持たない人工衛星がなぜ地球のまわりを回り続けていられるのか、不思議に思ったことはないだろうか。実は物体の速度が秒速8㎞(時速約28000㎞)に達すると、その物体は地上に落ちてこなくなる。実際には落ちているのだが、地球は丸いので、落ちるのと同じ経路で地面が逃げていくのだ。その結果、地球のまわりをグルグルと回ることとなる。スピードがさらに上がって秒速11.2㎞を超えると、物体は地球の重力を振り切り、宇宙の彼方へと飛び立つ。このことから、宇宙飛行とは、高度100㎞以上の空間を、秒速8㎞以上で飛ぶことだと言っていいだろう。ただ、勇気ある王冨がこのことを知っていたとは思えないが……。

宇宙へ

初めて宇宙飛行を体験した地球上の生物は犬である。1957年10月4日に人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功したソ連は、その一カ月後の11月3日に、「ライカ」という名のメス犬を乗せた「スプートニク2号」を打ち上げ、地球を周回させた。しかし、スプートニク2号は大気圏への再突入装置を備えていなかったため、ライカが地上に帰還することはなかった。

ライカの死から4年を経た1961年4月12日午前9時7分。ユーリ・ガガーリン宇宙飛行士を乗せた「ボストーク1号」が、ソ連のバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。ガガーリンは地球を一周し、午前10時55分に同じくソ連のボルゴグラードに着陸した。飛行時間108分。東京から沖縄までの飛行時間にも満たないこの「フライト」によって、ガガーリンの名は人類の歴史に刻まれた。それはただ宇宙に出たというだけでなく、人類が自分たちの住む星を見る、初めての経験でもあった。「地球は青かった」という言葉が感動的なのは、きっと、そのことを表しているからだろう。

開発競争でソ連に先を越されてばかりいたアメリカは、1969年7月16日にアポロ11号を乗せたサターンVロケットを月に向けて打ち上げた。そして4日後の7月20日午後10時56分、人類は月面に大いなる「小さな一歩」を踏み出した。このときの中継を見守ったのは、全世界で6億人にも達したという。

一説によると、宇宙は137億年前に初期特異点と呼ばれる一点からはじまった。出現と消滅を繰り返していたこの点がある瞬間から爆発的に膨張をはじめ、時間もそのときから流れはじめたらしい。宇宙とはまさしく、宇(空間)と宙(時間)の母なのだ。有限の空間と時間を生きる私たちが憧れるのは当然だろう。してみると、人類にとって宇宙飛行とは、未知への冒険であると同時に、「ふるさと」をめざす「帰省」の旅だと言えるのかもしれない。

参考文献

中村士/岡村定矩著
『宇宙観5000年史 人類は宇宙をどうみてきたか』東京大学出版会 2011年
阿施光南著
『宇宙ロケット入門-よくわかる宇宙開発の歴史と可能性』光人社NF文庫 2013年
的川泰宣著
『宇宙の本!-宇宙開発の歴史編』学研パブリッシング 2012年
池内了
『物理学と神』集英社 2002年
佐伯和人
『世界はなぜ月をめざすのか』講談社 2014年

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