ヒトは何をどう成し遂げてきたのか

#08

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メディアの歴史

「変化」という言葉に私たちは弱い。インターネットの登場によってメディアは劇的に変化した、などと言われると、「その通り!」と無条件に同調してしまう。ネットがメディアを変えたのが事実だとして(もちろん事実だろう)、そこに変わってないものはないのか。そもそも、メディアとは何なのか。スマホ、パソコン、テレビ、新聞……。日々無意識に接しているメディアの歴史に目を向けてみよう。

祈る

広辞苑で「メディア」をひいてみると、「媒体。手段。特にマスコミュニケーションの媒体」とある。ちょっとそっけないので、これを「情報を伝達したり記録したりするためのモノや方法」と解釈してみる。人類最初期のメディアと考えられているもののひとつに、1940年、フランスのドルドーニュ県で発見された「ラスコーの洞窟壁画」がある。馬、山羊、野牛、かもしかといった動物の姿を驚くほど見事にとらえたこの壁画は、およそ2万年前の人類によって描かれたものだ。これらはなぜ描かれたのだろうか。文字を持たないクロマニョン人の意思を正確に推測するのは困難だが、もっとも自然だと考えられるのは、狩りの成功を祈願したものだとする説だ。生きるのに必要なものを描くことで、それらが手に入ることを祈った「宗教的」な意味合いがあったというのだ。このことからメディアには、「いまここにないものを召喚する」という特性があったといえるだろう。

「真理」を伝える

時代は一気に下って15世紀の中頃、メディア史を正に塗り替える発明がドイツで生まれる。この当時のヨーロッパにおいて、書物は手で書き写す写本によってつくられていた。当然、膨大な手間と時間がかかり、書物を読んだり所有したりできるのは、一部の特権階級に限られていた。これを一変させたのが、グーテンベルクの活版印刷である。

活版印刷とは、鉛でできた「活字」と呼ばれる一字印を組み合わせた版にインクをのせ、紙にプレスして印刷する技法である。一字ずつバラバラの印を組み合わせているので、文字の配列を自由に変えることができ、印刷が終われば版をばらして再利用することができた。活字そのものの発祥は11世紀の中国だとされているが、ヨーロッパから世界中へと広がる近代出版の基礎となったのは、鉛活字を用いたこの活版印刷だった。

では、この活版印刷によって最初に印刷された書物とは何だろう。多くの人々が読みたいと思い、それが普及することによって世界に甚大な影響を及ぼすこととなった書物といえば、そう、聖書である。書物が貴重だった時には教会の神父によってさまざまに語られていた「神の言葉」は、活版印刷によって正確に、そして大量に世の中へと広まっていった。これがメディアだけでなく、もう一つの改革を引き起こすこととなる。

社会を変える

 グーテンベルクの発明から約50年後の1517年。ドイツの修道士マルチン・ルターは、ローマ教皇が贖宥状(=免罪符)を販売したことに異議を唱えるため、自身の考えを95箇条のテーゼにまとめて礼拝堂の壁に貼り付けた。するとこの貼り紙が何者かによって大量に印刷され、ドイツ中に出回ったのである。これをきっかけとしてルターの小冊子や著作が数多く出版され、教皇の世俗化や聖職者の堕落を批判する宗教改革に結びついたといわれている。ひとつの考えが印刷物(メディア)を介し、多くの人々に共有されることで、社会全体を動かすほどの力が生まれたのである。

メディアのこのような力は、中世の日本でも発揮されたと考えられている。活版印刷が日本に伝わったのは、グーテンベルクの発明から約150年を経た1590年。この最新技術をいち早く取り入れたのは、他ならぬ徳川家康である。家康は『貞観政要(じょうがんせいよう)』や『群書治要(ぐんしょちよう)』といった、治世のための書籍を多く出版した。これまでの武による支配から、メディアを利用した文による支配を目指したのだ。江戸時代240年の太平の礎には、家康の先見の明と、メディアの存在があったのである。

より早く、より広く

 18世紀後半、ナポレオンの登場によってヨーロッパ各地で戦争が勃発すると、多くの人々が戦況に関する情報をいち早く求めるようになった。これに応えたのが、蒸気機関である。イギリスのジェームス・ワットによって1769年に開発された蒸気機関はやがて印刷機に取り付けられ、それまでとは比べものにならないスピードでの印刷を可能にした。メディアへの「より早く、より広く」というニーズが、さまざまな技術の進化と相まって今日のインターネット社会へとつながっていったことは、周知の事実であろう。

メディアの語源は「間にあるもの」を意味するラテン語のmedium(ミディアム)らしい。人と自然、人と神、そして人と人の「間にあるもの」。しかし、それだけではない。グーテンベルクの聖書は当時印刷されたものが現存し、さまざまな情報を現代に伝えている。つまりメディアとは、空間というヨコ軸だけでなく、時間というタテ軸に沿って、過去と未来の「間にあるもの」でもあるのだ。そして、考えてみれば、それは私たち自身にも当てはまるのではないだろうか。同時代を生きる誰かと誰か、何かと何かだけでなく、祖先と子孫、前の世代と次の世代の「間にあるもの」、それこそが「私」ではないだろうか。和辻哲郎は人間を「間柄(あいだがら)的存在」と捉えたが、メディアとは、私たち自身のあり方のことだと言えるのかもしれない。

参考文献

飯田豊編著
『メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方』北樹出版 2013年
ヨッヘン・ヘーリッシュ著 川島健太郎/津崎正行/林志津江訳
『メディアの歴史 ビッグバンからインターネットまで』法政大学出版 2017年
『日本印刷学会誌 Vol.53』日本印刷学会 2016年
『日本印刷学会誌 Vol.49』日本印刷学会 2012年
『江戸時代の印刷文化―家康は活字人間だった!!』印刷博物館 2000年
橋本良明編著
『メディア・コミュニケーション学』大修館書店 2008年

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