ヒトは何をどう成し遂げてきたのか

#04

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海を渡る

 大西洋、太平洋、インド洋、北極海に南極海、お望みならそこに日本海を加えてもいい。現代の私たちにとって海は、世界地図の上で区切られ、名づけられた「範囲」だといえるだろう。しかし、人工衛星からの写真はおろか、まともな地図さえ持たなかった時代の船乗りにとって、それは、見るも恐ろしい「ひとかたまりの巨大な水」だった。はげしい嵐、日照り、座礁、食糧不足、病……。航海には常にさまざまな危険がつきまとった。人々はいかにしてそれを克服し、新たな「世界」を切り拓いたのだろうか。知られざる航海の歴史を追った。

位置と針路

 「刻舟(こくしゅう)」という言葉がある。「時勢の移り行くのを知らずに旧習を固守する愚かさのたとえ。」(広辞苑 第六版)という意味だが、この言葉は、舟から剣を落とした人が舟べりに「刻み」をつけ、岸につくとその刻みの場所から水中にもぐって剣を探した、という故事に由来するそうだ。馬鹿らしいほど当たり前のことだが、海には目印がない。壁のようにそそり立つ大波も、群れて泳ぐ魚も、次の瞬間には位置を変え、あるいは視界から消え去ってしまう。では、太古の船乗りたちはどのようにして現在の位置と、進むべき方向を知ることができたのだろうか。

 すぐに思いつくのは、陸に沿って進むことだ。切り立った崖、目立つ家、木立といった海辺の景観の特徴をとらえることができれば、自船の位置と針路を決めることができる。『アドミラルティ・パイロット』という英国海軍が編纂(へんさん)した水先案内全集には、尾根沿いに点在する教会の塔の特徴についてまで書かれているそうだ。

 では、沖に出たときはどうか。見慣れた陸地の景色を離れ、360度を水平線に囲まれたときの不安は、おそらく、経験しないとわからない類のものだろう。羅針盤(コンパス)が発明されるまで、昼は太陽が、夜は月と星が行き先を示してくれた。古代ポリネシア人は星の位置を頼りに大洋を何千キロも移動し、北欧のヴァイキングは日陰版(単純な構造の日時計)を用いて、コロンブスより何百年も前に北アメリカ大陸に到着した。経験豊かな船乗りたちは、自然からの「声」を聴くことができた。そして、さまざまな海の状態から、明らかな兆候を見つけ出す「目」をもっていた。彼らにとっての航海は、GPSをはじめとしたテクノロジーを駆使する現代とは、まったく別のものだったことだろう。

大航海の「成果」

イメージ コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン。15世紀後半からの大航海時代を代表するこの三人には、ひとつの共通点がある。三人とも、それまでになかったルートで、あるものの原産地を目指していた。そのあるものとは、香辛料だ。当時のヨーロッパでは、インドや東南アジアでとれる香辛料は生活に欠かすことのできないものであり、コショウはヴェネツィア人にとって「天国の種子」と呼ばれるほど価値の高いものだった。コロンブスは大西洋を横断するルートで、ダ・ガマはアフリカ大陸南端の喜望峰をまわるルートでそれぞれインドを目指し、マゼランは香料諸島として有名なモルッカ諸島への新航路の発見を目指した。


イメージ 彼らの航海が新たな航路を切り拓き、世界を押し広げたことは間違いない。しかしそれは、ヨーロッパ人の目から見た「世界史」であることもまた事実だろう。彼らが到着した地にはすでに先住民の「世界」があり、「歴史」があった。実際、コロンブスが上陸した地にはルカヤン族という先住民族が生活しており、彼らは彼らで、「1492年」にコロンブスというポルトガル人を「発見」したのだ(この地をインドと勘違いしたコロンブスが彼らをインディアンと名付けたのは有名な話だ)。いずれにしても、先住民にとってこの一団は、招かれざる客だったことだろう。ヨーロッパ人にしてみれば「発見」であり、「征服」の偉業だったかもしれないが、彼ら先住民にとっては虐殺や、疫病の導入による大幅な人口の減少を招く出来事だった。大航海時代の「冒険」や「交易」の裏にこのような歴史があったことも、見過ごされるべきではない。

運ぶ海

 1838年、『シリウス』と『グレート・ウェスタン』という2隻の蒸気船が大西洋を横断し、ニューヨークに相次いで到着した。これを皮切りとして、19世紀の間には、蒸気船がそれまでの帆船にとって代わるようになった。自力で進むことのできる蒸気船の登場は、航海にかかわる人々にとって革新と呼ぶにふさわしい出来事だったことだろう。風を待って出発を遅らせることも、無風で停泊を余儀なくされることもない。現に『グレート・ウェスタン』は最初の大西洋横断を、わずか14日間で終えている。途中で寄港したとはいえ、コロンブスが最初の航海に2カ月以上要したことを考えるとその差は歴然だ。とはいえ、この蒸気船による航海も、一般の乗客にとっては快適といえるものではなかったようだ。『クリスマス・キャロル』で有名なイギリスの文豪、チャールズ・ディケンズは、1842年のアメリカへの航海の体験をこう記している。「……大波が大砲百発分もの音を立てて船にぶつかり……気絶したかのように船は止まり、よろめき、震える……あらゆる板がギーギー音をたて、あらゆる釘がキーキーときしみ、大海のあらゆるしずくがうなり声をあげている」(ブライアン・レイヴァリ著 千葉喜久枝訳『航海の歴史-探検・海戦・貿易の四千年史』創元社)

 蒸気船によって航海が早く、(比較的)安全なものになると、大陸と大陸の間で人やモノの往来がさかんになった。大洋はいまや富と名誉を求める冒険家の「仕事場」ではなく、新天地を目指す人々とその希望を運ぶものとなったのだ。1820年から1905年の間に、イギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国から2300万人がアメリカ合衆国へと移住した。世界一の経済大国の礎がこれらの人々によって築かれたことは、改めて言うまでもない。

 人間と海との関係は、さまざまな技術の登場に伴って大きく変化してきた。世界中に航空網が張り巡らされた今では、単純な移動を目的として船に乗ることは稀だろう。はたして人類は海を制したのだろうか。この問いに答えを出すことは困難だが、それ以前に、恐らくは問いの立て方自体が間違っている。人類が生まれるはるか以前から海はそこにあり、間違いなく、人類が消滅した後もあり続ける。相変わらず広く、深く、不可解なものとして。だからこそ人類は、海の向こうに思いを馳せるのではないだろうか。私たちが見ようとしているのは、グーグルマップでわかる陸地などではなく、遥かなる未来なのかもしれない。

参考文献

ブライアン・レイヴァリ 著 千葉喜久枝 訳
『航海の歴史-探検・海戦・貿易の四千年史』 創元社 2015年
月尾嘉男 著
『航海物語 書を捨てよ! 海に出よう!』 遊行社 2015年
ブライアン・フェイガン 著 東郷えりか 訳
『海を渡った人類の遥かな歴史 名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか』 河出書房新社 2013年
ペーター・フェルトバウアー 著 藤川芳朗 訳
『喜望峰が拓いた世界史―ポルトガルから始まったアジア戦略』中央公論新社 2016年
山本紀夫 著
『コロンブスの不平等交換 作物・奴隷・疫病の世界史』 KADOKAWA 2017年
西山隆行 著
『移民大国アメリカ』 筑摩書房 2016年

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