ヒトは何をどう成し遂げてきたのか

#03

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空を飛ぶ

 大空を自由に飛び回りたい。それは、常に重力の支配を受けている私たちにとって、根源的とさえ言える欲望ではないだろうか。しかし、人類のこの無邪気な夢は、長い間、文字通り「夢」でしかなかった。空気より重い物体が宙に浮き、自由に飛行するなどということは、19世紀の人々にとってさえ、常識はずれの「たわ言」だったのである。ではなぜ、その「たわ言」が、20世紀の初頭に実現できたのか。そこには「常識」に挑み続けた男たちの人生があった。

揚力

 もしもあなたが飛行機のない時代に生まれ、「空を飛ぼう!」と決意したとするなら、まず何をするだろう。おそらく、大空を既に満喫している鳥を参考にするのではないだろうか。歴史上多くの「勇者」が自らの腕に羽をくくりつけ、建物の上から鳥のように羽ばたきながら落下した(彼らは「タワージャンパー」と呼ばれた)。かの天才レオナルド・ダ・ビンチも、鳥を模した「羽ばたき機」のスケッチを残しているが、実現はしていない。人類が地面を離れるためには、まず、鳥の飛び方と決別する必要があった。それを実行したのが、イギリスのジョージ・ケイリーだ。彼は固定翼、胴体、水平尾翼と垂直尾翼という、現代の飛行機へとつながる構成を生み出した。中でも注目に値するのが羽ばたかない翼、「固定翼」だ。

イメージ飛行機が浮く原理をひとことで言うと、「翼の上面と下面に生じる圧力の差」ということになる。一定の速度で流れる空気の中に翼を図1のように傾けておくと、翼の上と下を流れる空気に速度の差が生まれる。翼の上を流れる空気は、下を流れる空気よりも遠回りをすることになる分、速度が速くなるのだ。空気には速度が速くなると圧力が下がる性質があるので、翼が上に引き寄せられる力=揚力(ようりょく)が生まれる。ケイリーはこの原理を飛行機の設計へと組み入れたのだ。

イメージ ケイリーは自らの生涯を人類が飛行する夢に捧げた。実物大の飛行機をいくつか設計し、実際に飛行試験も行っている。その試験が飛行機誕生の瞬間として歴史に刻まれることはなかったが、彼の理論は人類が独自の飛び方を追求するという点において、航空技術の発展にはかりしれない貢献をもたらしたのである。

安定性

 ケイリーによって大きな一歩を踏み出した飛行機だが、当時の空には鳥以外にも先客がいた。気球である。気球は、ケイリーが固定翼のアイデアにたどり着く10年以上前の1783年に人類初の飛行を成功させていた。しかしその飛行は基本的に風まかせであり、鳥が風を切って飛ぶ姿からは程遠い。意のままに加速し、上昇し、旋回するという夢は、手付かずのままに残っていたのだ。

イメージ 大空を自由に飛び回るためには、空中における安定性が必要不可欠だ。それは、まっすぐ走らない車を運転する大変さを想像すれば納得してもらえるだろう。道路がない飛行機にとっては、特に、揚力と重力を釣り合わせる縦方向の安定性が死活問題となる。フランスのアルフォンス・ペノーはこの縦方向の安定性に劇的な解答をもたらした。

 縦方向の安定は、主翼と尾翼による揚力と飛行機の重量が釣り合うことによって得られるが、その釣り合い方は一通りではない。飛行機の重心がどこになるかによって、主翼と尾翼が受け持つ揚力が変化するのだ。前述のジョージ・ケイリーは重心の位置を機体の真ん中付近に設定し、主翼と尾翼のそれぞれに上向きの揚力を持たせた(図2-a)。これに対してアルフォンス・ペノーは重心を機体の前方に持ってきて主翼に飛行機の重量よりも大きな揚力を担わせ、その分尾翼には下向きの力が働くように角度を調整した(図2-b)。ペノーはなぜ、こんな効率の悪い配分を選んだのだろう。

イメージイメージ 飛行中に何らかの原因で機首が上がったときのことを考えてみよう。機首が上がると翼の角度が大きくなるので主翼と尾翼の揚力も大きくなり、機体には機首を下げる向きの力が働く(図3-a)。逆に機首が下がった場合には、翼の角度が小さくなるので主翼と尾翼の揚力も小さくなり、機体には機首を上げる向きの力が働く(図3-b)。つまり、ペノーの揚力配分であれば、機首が上がった場合でも、下がった場合でも、機体は自然に水平に戻ろうとするのだ。

イメージ ペノーの設計した飛行機は資金不足のため、実際に製作されることはなかった。落胆し、心無い非難を浴びた彼は失意のうちに自ら命を絶ってしまう。しかし、ペノーによって空中での安定性を手に入れた飛行機は、また一歩、鳥の待つ世界へと近づいたのである。

グライダー

 飛行機の翼を真横から見ると、平板ではなく湾曲しているのが分かる(図1参照)。これをキャンバー(湾曲)翼型という。キャンバー翼型を開発したのはホレイショー・フィリップスという人物だが、空気力学計測によってこの翼の性能を証明したのは、ベルリンに生まれたオットー・リリエンタールだ。リリエンタールは実に22年にわたって様々な形状の翼に作用する力を計測し、一冊の本にまとめた。この本は初期の飛行技術の発展に非常に大きな影響を及ぼすこととなった。

 優れた空気力学の研究者とは別に、リリエンタールには初めての実用グライダーの発明家、製造者、飛行家としての人生があった。彼はまだ13歳であった1861年から飛行への情熱を燃やし、自作の翼を腕に装着して飛行を試みた。その情熱は長じても衰えることはなく、1891年から1896年のグライダー試験を行っていく過程で、実に2000回以上の飛行を成功させている。この時点で彼は、飛行機を完成させる栄誉に誰よりも近づいていた。

 1896年8月9日、彼が操縦するグライダーは、突然、上昇気流によって生じた渦巻きに襲われ空中で失速。15mの高さから機首を下に向けたまま地面に衝突した。リリエンタールはグライダーから運び出されたが、翌日、病院で息をひきとった。ライト兄弟の兄ウィルバー・ライトは、死の直前に書いた記事の中でリリエンタールをこう評している。

 「19世紀に飛行の問題に挑戦した人物の中で、オットー・リリエンタールは間違いなく最も重要な人物であった。…彼ほどこの動機に多くの挑戦者を惹きつける力を持つものは誰もいなかった。彼ほど飛行原理を完全かつ明確に理解できる者は誰もいなかった。…結局、科学研究者としてリリエンタールに匹敵するものは誰もいなかった。」(『飛行機技術の歴史』ジョン・D・アンダーソンJr.著 織田剛 訳 京都大学学術出版会87-88ページ)

離陸

 ウィルバー・ライトとオリバー・ライトのライト兄弟が飛行機の開発に取りかかったのは1899年。それから4年後の1903年には歴史的な偉業を成し遂げている。「空気よりも重い機体で動力飛行を行う」という、ダビンチ以来数百年にわたる試みは、この兄弟によってわずか4年で達成されたのだ。ライト兄弟が整合性のとれた理論と卓越した技術を持った「航空技師」であったことに議論の余地はない。しかしその偉業が、先人たちの業績なくしては成しえなかったことも、また疑いようのない事実であった。ライト兄弟の「工具箱」の中には、揚力をつくり出す翼の理論も、安定をもたらす重心位置も、大きな推進力を生み出すガソリンエンジンの技術も入っていた。彼らは、それらをうまく組み合わせ、相乗効果を生むような「飛行システム」をつくり上げたのである。

 1903年12月17日、午前10時35分。オリバー・ライトを乗せた「ライトフライヤー号」は、ノースカロライナ州 キル・デビル・ヒルズの空を舞った。その機体に飛び立つ力を与えたのは、ジョージ・ケイリー、アルフォンス・ペノー、オットー・リリエンタールをはじめ、幾人もの挑戦者が人生をかけて作り上げた「滑走路」だったのである。

参考文献

ジョン・D・アンダーソンJr.著 織田剛 訳
『飛行機技術の歴史』京都大学学術出版会 2013年
加藤寛一郎 著『飛ぶ力学』
『飛ぶ力学』 東京大学出版会 2012年
中村寛治 著
『学校で教えない教科書 面白いほどよくわかる 飛行機のしくみ』 日本文芸社 2007年
ナンシー・ウィンターズ 著 忠平美幸 訳
『空飛ぶ男 サントス-デュモン』草思社 2001年

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