ヒトは何をどう成し遂げてきたのか

#01

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ピラミッドはどうつくられたか

紺碧の空に描かれた巨大な幾何学図形。人類の歴史上、空前絶後の建造物であるピラミッドは、その多くの謎とともに、各時代の人々を魅了してきた。21世紀を生きる私たちもまたしかり。一体ピラミッドとは何なのか。誰が、何のために、どうやってつくったのか。数千年にわたって繰り返されてきたであろうこの問いを、私たちもまた、この偉大なる「金字塔」にぶつけてみたい。

ピラミッドとは何か

 物質的に言ってしまうと、ピラミッドとは大小の石材のブロックを積み上げてつくられた建造物である。最も大きく、そして最も有名な「クフ王の大ピラミッド」は、底辺の一辺が約230メートル、高さが約146メートル、使われている石材の体積は東京ドーム2杯分を優に超える。これだけの石材を、トラックやクレーンはおろか、鉄器さえもない時代に、ここまで正確に積み上げるとは、もはや圧巻というほかない。

イメージ ピラミッドが、エジプトの王の葬送儀礼が執り行われた「墓」であることは、多くの専門家の間で意見が一致している。それが意味するのは、ピラミッドの建造が、それを命じた王の生きている間に完了させなければならない「プロジェクト」であったということだ。大ピラミッドの主であるクフ王の場合、その在位期間は最短で23年だと考えられている。この期間に東京ドーム2杯分の石材を積み上げるには、一体どれほどの人手が必要だったのだろうか。アメリカの考古学者、マーク・レーナーの行った「ピラミッド建造実験」の結果をひもといて、その人員を算出してみよう。なお、以下では1日の労働時間を10時間に想定している。

※現在は頂上部が欠落しているため137メートルになっている

ピラミッド建造にかかる人手

 ピラミッドの建造は 1.石を切り出す 2.石を運ぶ 3.石を削って据え付けるという3つの工程に分けることができる。まずは1.の採石から。クフ王の大ピラミッドを23年で建造するには、一日におよそ322個の石材のブロックを切り出す必要があった。レーナーのチームの12人の採石工は、22日間で186個、1日当たり8.5個の石材のブロックを生産することができた。しかし、彼らが鉄のケーブルを持ったウィンチを使ったことを考えると、クフ王の時代ではさらに20人の労働者がこの作業に必要だったかもしれない。計32人で一日8.5個とすると、322個の石材を切り出すには、1212人の採石工がいればよいことになる。

イメージ 次は、切り出された石を運ぶ作業。クフ王の採石場から大ピラミッドまでは約300メートルの距離がある。この道のりを、1個平均2.5トンの石材をソリに載せて引いていく。ピラミッド建造実験によると、ソリに載せた重さ2トンのブロックは10〜12人で引けることがわかった。ということは、1組20人のチームであれば、2.5トンの石材を十分に運ぶことができただろう。採石場とピラミッドの往復に2時間かかるとしたら、1チームあたり1日5個の石材をピラミッドに供給できたことになる。ピラミッドを23年で完成させるためには1日340個の石材を据え付ける必要があったため、20人のチームが68組、計1360人の引き手がいたと推測される。

イメージ 最後に、石を削って据え付ける作業。建造実験の結果から、テコを使って石を持ちあげるのに4人、石を押して位置を調節するのに2人、石材を削って仕上げをするのに2人、これに予備の2人を加えると、ピラミッドの現場でブロック1個に必要な人員は10人になる。採石場からは1時間当たり34個(340÷10)の石材が届けられるので、それを10人が1時間でひとつ据え付けるとすると、340人がこの作業に従事していたことになる。しかし、このペースを維持し続けるのは少々きついようだ。仮に人員を倍の40人にしたとすると、石を削って据え付ける作業には、約680人の労働者が必要だったことになる。

イメージ 石を切り出すのに1212人、運ぶのに1360人、削って据え付けるのに680人、合計すると3252人。これ以外にも、石材をピラミッドの上部に運ぶための「傾斜路」の建設に多くの人員が必要だったと考えられている。道具とソリを作る大工や、切断工具を作ったり研いだりする金属細工師、水を運ぶ労働者、労働者の食事を準備する職人もいたことを考えると、クフ王のピラミッド建造に関わった人々は、2万~2万5千人にのぼった可能性が指摘されている。では、それは一体どのような人々だったのだろうか。

ピラミッドをつくった人々

 古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、ピラミッドは身分の低い労働者を奴隷のように働かせてつくられた、と書き記している。しかし、今ではこの話を信じている専門家はほとんどいない。「ピラミッド建造実験」を行ったマーク・レーナーは、クフ王の大ピラミッドがそびえるギザ台地の南東に、ピラミッドの建造に従事した人々の街を発見した。この街の一角からパンを焼くための甕(かめ)や壺が見つかったことから、ここにはパン焼き場があったことがわかっている。ゴミ捨て場の調査からは、労働者たちが、当時とても貴重だった牛肉を食べていたことも判明した。さらに、この街の近くでは、労働者の墓も見つかっている。古代エジプト人にとって墓を持つというのはひとつの特権であった。これらのことから、ピラミッドを建造したのは奴隷ではなく、エジプトの一般市民、ことによると、ある種のエリートとさえいえる人々だったと推測されるのだ。遺骨調査の結果から、そこには女性も含まれていたと考えられている。ピラミッド労働者たちは仕事を終えて街に戻り、焼きたてのパンと貴重なタンパク源である肉、そして、当時の「アフターファイブ」にも欠かすことのできなかったビールによって、一日の疲れを癒していたのだ。しかし、そんな「エリート」たちが、なぜこの過酷な「プロジェクト」に参加したのだろうか。

ピラミッド建造のモチベーション

イメージ 古代エジプト人は死後の世界、すなわち来世を信じていた。死者が来世で「有力者」となるためには、葬送儀礼や死後の供物といった、生者の「世話」が必要だとされていた。そのため、死者は生者に自らの世話を求め、逆に生者は死者が来世で力を持つことによって、家を守り、維持していくことを求めたのである。ピラミッドが王の墓であることは先に述べた通りだが、それは同時に、王が天に昇るための「装置」でもあった。ピラミッド内部の墓室に記された「ピラミッド・テキスト」には、死者となった王は太陽光線に導かれて天に昇っ ていくとあり、そのため、ピラミッドとは雲の切れ間から降り注ぐ太陽光線を物質化したものだ、と考える説もある。古代エジプト人にとって王とは神であり、全エジプトの家長であった。つまり、ピラミッドをつくることは、国の事業に従事するという栄誉に浴するだけでなく、自らが属する共同体全体を、王の死した後の新たな世界へと運ぶ準備に関わることだったのである。

 4500年前のエジプトに思いを馳せてみる。そこでは、今日も、誇り高き労働者たちが、石を切り出し、石を引き、太陽に向かって、ひとつひとつ、据え付けていたことだろう。父なる王のため、愛する家族のため、そして、何物にも代えがたい、仕事の後の一杯のビールのために。

参考文献

マーク・レーナー著 内田杉彦訳
『図説ピラミッド大百科』 東洋書林 2001年
大城道則
『図説 ピラミッドの歴史』 河出書房新社 2014年
『ピラミッドへの道 古代エジプト文明の黎明』 講談社選書メチエ 2010年
中川武監修 柏木裕之・米澤貴紀・伏見唯著
『「もしも?」の図鑑 ピラミッドの建て方』 実業之日本社 2013年
「覆る定説 ピラミッドを築いた人々」日経サイエンス 2016年2月号
「ピラミッドの謎 巨大遺跡を造った人々」ナショナル ジオグラフィック 日本版 2001年11月号

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